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    6月20日 第2239例会 | 6月11日 第2238例会 <藤本副会長> | 6月4日 第2237例会 | 5月28日 第2236例会 | 5月21日 第2235例会 <藤本副会長> | 5月14日 第2234例会 | 5月7日 第2233例会 | 4月30日 第2232例会 | 4月23日 第2231例会 | 4月16日 第2230例会 <藤本副会長> |

    6月20日 第2239例会

     今晩は。本日(20日)は、普段の例会場のアイボリーホテルを変更し又時刻も夕刻として例会を行います。そしてこの後には、今期最後の懇親会の開催を予定しています。そんな次第ですので会長の時間は、私の一言の挨拶で代えさせて頂きます。

    今期も愈々残すところ10日間となりました、例会前には来期に向けて新旧引き継ぎ委員会アッセンブリーを行いました。岡本会員の来期会長に向けて、クラブ運営準備も進んでいます。何事を行うにも、まずは会員相互の信頼関係が最も重要と思います。本日の懇親会をその様な趣旨の良い機会にして頂きたいと思います。限られた短い時間ですが、会員皆様の忌憚のない話し合いを進め、信頼関係を深めていただき又大いに楽しんで頂きますようお願い致します。

    遅れましたが、本日の設営準備に当っていただいたクラブ奉仕委員会ならびに親睦奉仕委員会の会員にはお疲れ様でした。簡単ですがこれで私の挨拶を終わります。

     

     

    6月11日 第2238例会 <藤本副会長>

    健康寿命

    本日は「健康寿命」についてお話します。

    寿命は人が亡くなるまでの期間ですが、「健康寿命」は健康上の問題で日常生活が制限されずに生活できる期間だと、厚生労働省は定義しています。もともと世界保健機構(WHO)が2000年に提唱した概念に基づいています。平均寿命から介護を必要とする期間を引いたものが「健康寿命」ということができます。

     例えば、高血圧や糖尿病等の持病があっても他人の手を借りずに自立した生活ができる間は、健康と位置づけられます。厚労省の調査によりますと、2010年の健康寿命は男性が70.42歳、女性は73.62歳。平均寿命との差は男性で約9年、女性で約13年ありました。

     この期間は寝たきり等で生活の質の低下を招くことがおおく、医療費や介護費などもかかります。平均寿命の延びを健康寿命が上回れば、この期間を短くすることができます。

     厚労省は高齢化社会の進展をにらみ、病気になったり介護が必要となったりする時期を遅らせることに重点を置いてきました。国民の健康づくりの指針となる「健康日本21」を2000年度につくりました。さらに2013年度から始まった「健康日本21」の第二次計画では、健康寿命を延ばすことを第一に掲げています。

     日本は、世界一の長寿国となった今、健康寿命をいかに延ばすかを考え、実行することが重要となっています。

    ところで健康寿命を伸ばすためには何をすればいいのでしょうか。俗に「テクテク・カミカミ・ニコニコ・ドキドキ」などといわれているが、これは適度な運動(テクテク)、3度の規則正しい食事(カミカミ)、心の健康(ニコニコ)、五感を使った感動(ドキドキ・ワクワク)を指します。

     しかし、よく考えてみると、普通に規則正しく働いていればこれらの要件はほぼ満たされるが、仕事を辞めて家にいると、これらの要件を毎日充足することはかなり難易度が高くなることに気がつきます。つまり健康寿命を伸ばそうとすれば、少なくとも70歳ぐらいまでは、働きたい人はすべて働けるような社会環境を整えることが必要ということになります。

     

     

    6月4日 第2237例会

     年度初めに挙げた活動方針に、地域の事をよく知ると言う一項を挙げておりました。それで以前に市南部の椋橋神社にまつわる伝説を取り上げました。今回もう一度何か豊中市に就いて、特徴づける有名なものは無いかと考えました。

    以前であれば大阪国際空港の立地する市です、で説明がつきました。残念ながら今は国際線の就航が無くなり、名前だけの国際空港となり影響力と知名度が随分低下したのではないかと思います。それで他に何かないかと探したところ、マチカネワニに思い至りました。会長の時間に取り上げるべく、資料展示がしてある博物館に行き、少し調べてきました。

    このマチカネワニは、昭和39年(1964年)大阪大学 豊中キャンパスの理学部校舎建設現場より高校生が発見し、本格的に調査発掘されました。その結果一部は欠けているが、ほとんど完全なワニの骨格化石であることが解りました。

    (下顎一部 尻尾 右前脚 左後脚他欠損)

    推定全長は、6、9~7、7mの大型ワニ類で今から約40万年~50万年前の更新世中期の中頃に棲息していたと思われるとの事です。

    マチカネワニの命名(1965年)は産地(発見場所)の待兼山から摂られました。現在大阪大学総合学術博物館 待兼山修学館に複製が展示されています。

    そして豊中市の、市制75周年記念(平成23年)に豊中市のキャラクター(マチカネくん)指定になり、また平成26年10月6日に国(文化庁)の登録記念物に登録されました。また大阪大学のマスコットであり、マンホールの蓋にも図案化され採用されています。

     

     

    5月28日 第2236例会

    指導者の資質について

    指導者の資質について、眼にした一文を書きます。

    ①強い思い ②共感力 ③統率力 

    この三要素を兼ね備える人が指導者としての必要最低限の条件であるとの事です。

    そして組織を率いるのに、一番必要なのは正しい意思決定が出来るかどうかです。全てが結果で判断され、途中経過はあまり問題にされないのです。

    それでは良い意思決定を下す心構えは何かということになりますが、貞観政要の中に参考となる三鏡という文章が有ります。

    第一は本当の鏡で、是は自分自身を鏡で見て元気で明るく楽しそうかを確認する事です。

    第二は歴史の鏡で、大きな流れを過去のケースから類推する事です。

    第三は人間の鏡で、人間とは自分のそばに居てくれる人の事で、つまり助言を与えてくれる人の事です。

    この三点でもって、意志決定に繋げていけば良いとの事です。

    なお貞観政要とは、「帝王学の教科書」と言われる、中国唐の時代の太宗(李 世民)と臣下との間の政治論議を分類 編集した書籍です。

     

     

    5月21日 第2235例会 <藤本副会長>

    陸前高田の隠れたる名品

    気仙椿という木をご存知でしょうか?

    気仙椿は岩手県大船渡市から宮城県の気仙沼市あたりまで、三陸沿岸に自生し、昔から地元の人々は、気仙椿の種から採った油を様々な用途に使ってきました。肌や髪の手入れ、やけどの塗薬として、また郷土料理であるけんちん汁を作るときなど、料理にも利用してきました。椿は陸前高田市の市の花にもなっています。この気仙椿にまつわるちょっとよい話をさせていただきます。

    陸前高田市では半世紀以上にわたって、気仙町の石川製油所(代表・石川秀一さん)が油の製造を行っていました。椿油に至っては東北で唯一搾油を担っており、作業時期には市内外から多くの椿の実が届けられていました。

    しかし、震災による津波で製油所は被災。施設や機材をすべて流失したほか、後継者でもあった石川さんの長男・政英さんも犠牲となり、個人での再建は非常に困難として、石川さんは廃業を決めました。

    廃業を決めたときに、石川さんは次のように言っておられます。「これまで、多くの方々に利用していただきありがたく思っております。息子がいてくれれば椿油作りも続けようという気持ちになったかもしれませんが、後継者も機械類もすべて失った。今再び『やろう』とは思えません。」

    一方、市の高台にある障がい者の就労継続支援B型事業所「青松館」では廃天ぷら油でBDF燃料精製を製造する事業を行ってきましたが、事業所自体は被災を免れたものの、協力者等の被災によって事業を中断していました。

    青松館では利用者の所得減にも影響するため、新規事業立ち上げが急務となっていました。そこで注目したのが、製造のメドが立たなくなった椿油。青松館では石川製油所の石川さんに協力を求め、国の補助も受けて製油所を開設し、椿油製造を引き継ぐこととしました。

     椿油づくりの継続に対し、石川代表は「継承によくぞ手を挙げてくれたとうれしい。安全で安心な自然のものをお客さんに提供したいとするならば、一肌脱ごうと思った」と喜んでおられます。
     一方、青松館の中村浩行館長は「石川さんの50年以上の技術と品質が何よりの強み。椿油を地域活性化や利用者の所得向上につなげ、地域復興のシンボルにしたい」と話しておられます。

     次年度会長方針においては、東日本大震災への支援活動の継続を表明されています。会員の皆様も引き続き、心に留めて、ご協力お願い申し上げます。

     

     

    5月14日 第2234例会

     ロータリー友誌 2015年5月号のSPEECHの欄にRI2680地区の西播第一グループIM記念講演要旨という記事が載っています。

    岡山県立岡山盲学校講師 竹内昌彦氏の講演の話です。主題は「見えないから見えたもの」という、この記事を読んで感動し又気付きを与えてもらえました。

    少しその内容について、記事に則り書いてみます。竹内氏はまず自分の生い立ちから書き始められ、最後は皆に向かってエールを贈って締め括られています。素晴らしい内容だと思います。

    少し具体的に内容を書くと、子供の時に病気によって失明し、それからどの様に成長してきたのかという事を書いています。その中で自分自身の努力では如何にもできない問題と、如何にか出来る問題を解りやすく書いています。

    人がどの様な家庭に生まれるかという様なことは運以外の何物でもありません。また子供の時の病気等もこの部類でしょう。その様な中で竹内氏

    は、成長していく過程で親の愛情とその他廻りの人の愛情、それに教育の重要さを書いています。そして記事の中では400人に1人の割合で眼の不自由な人が生まれて来ると書いています。

    その1人に自分が当たり399人の他の人の眼を守ったと書いています。これは丈夫な体を持っているだけで十分幸せな事だと言うことが言いたいのだと思います。だから自殺はするなと書いています。

    そしてやはり最後は、自分だけが良かったでは駄目で、皆にどれだけ自分が困っている人を生かせるかだと結論しています。それが面白い人生 粋な人生だと書いています。まさにロータリー精神と同じだと思います。

     

     

    5月7日 第2233例会

    5月5日(火)に中之島まつりの一環として、ロータリークラブのPRを主目的にロータリーフェスティバルが開催されました。その模様をごく簡単に紹介します。大阪市の中央公会堂を主会場にして、附近の道路上には屋外テントを設置して献血や活動紹介(ローターアクト インターアクトクラブ)のコーナー等が設けてあります。

    始まりは朝8:30~9:00に集合して  2660地区内の全82クラブの会員が「ロータリー愛のパレード」と銘をうち危険ドラッグ撲滅キャンペーンの幟や風船を持って、大阪市役所前より土佐堀通りを経由して中央公会堂までの約900メートルを行進しました。

    その後10時より、泉 博朗ガバナーの開会挨拶があり各種イベントが始まりました。

    私は11:00~12:00の時間帯でのキッズダンス フェスティバルを参観しました。小学生から18歳までの若い男女の躍動的なダンスでした。

    その後フォーラムB「ロータリーの明日を考え

    る」に出席してきました。

    このフォーラムの中に、本クラブと姉妹提携クラブの関係に有る台湾3520地区の台湾肝臓病撲滅事業のグローバルグラントの話があり、台湾より3520地区の2015~2016年度ガバナーエレクトの林 華明会員と元台北士林クラブ会員の陳 思明(HIPPO)様が来られておりフォーラム終了後HIPPO様と親しく歓談をしてきました。

    フォーラムの中での話で、井上 映夫パストガバナーがこれからのロータリーは「柔軟性」や「多様性」が重要ではないかという事で、ロータリーも時代の変化と共に変化していく事が必要であると、自分自身の思いを語られました。

    今はまだ従来の日本のロータリークラブの価値観と、新しい考え方との双方の考え方の過渡期のように感じました。

     

     

    4月30日 第2232例会

    先日4月23日(木)18:30~20:00の時間で箕面観光ホテルにて箕面ロータリークラブの公開例会が有り、二井会員と共に参加をしてきました。

    受付に若い会員がおられまずビックリしました。聞くとクラブには若い会員が数名おられ、最年少は31歳との事でした。また会員が若い友人数名を伴って参加されており、活気が感じられました。

    本クラブとして少し羨ましい所がありますが、我々も希望を持って若い人への勧誘そして入会へと、勿論若い人とは限りませんが兎に角会員拡大に、頑張って行きたいと思います。

    話は変わりますが、この公開例会にゲストとしてフリーアナウンサーの島津 ゆう子様が来ておられ、マナー(礼儀作法)の話が有りました。マナーって何ですかという問いかけから始まり、マナーとは結局他人に不愉快な感情を与えない事だと教えられました。

    多数の人が一緒に生活していく中で、少しでもお互い楽しく仲良くやっていく方法の一つがマナーだろうと思います。反省とともに今後気をつけなければと自戒した次第です。

     

     

    4月23日 第2231例会

     先日4月4日(土)に箕面千里中央RC担当でインターシティー・ミーティングが千里体育館で開催され、出席して来ました。その折ゲストに野球解説者の金本知憲氏が招かれていました。

    アナウンサーとの対談形式で話が有りました、その中の話で一つ印象に残る言葉が有りました。広島 阪神球団で現役生活をしていた時は、よく鉄人と呼ばれ大変丈夫な体の持ち主のように言われていましたが、その裏には人知れず努力を重ねていたという事です。

    それは何かというと、食事の量だということでした。是は勿論努力の中の一つとは思いますが、聞いてみないと解らないもので私には意外でした、現役引退を表明した時、最初に頭に浮かんだのは、明日からは無理をせずに食事が出来ると言う事だったそうです。

    この話から、長い現役生活の間相当努力して無理に食事の量を多く摂っていたことを実感しました。これは何もスポーツ選手に限らず、一流と言われる人の仕事の陰には、内容が違えども全て努力が有るというのは、共通の事かもしれません。金本氏は何時も美味しくない、楽しめない食事だったのではないかと思います。その結果があのような輝かしい記録になったということでしょう。 

     なんとなく解っているつもりでしたが、この話を聞いて努力の大切さを再認識いたしました。

     

     

    4月16日 第2230例会 <藤本副会長>

    昨年から、朝日新聞で、夏目漱石の小説が、100何年かぶりに連載されていますが、その連載に当たって、天声人語で次のようなお話が載っていました。

    作家には、その作品のタイトルに凝る作家と、そうでもない作家がいます。夏目漱石は後者の代表格で、おおむね素っ気なかったとのことです。 名高いデビュー作も、「猫伝」とするか、それとも、書き出しの一文をそのまま使うか、と考えていたそうですが、俳人の高浜虚子が推して後者、つまり「吾輩は猫である」になったとのことです。虚子がいなければ、私たちは今ごろ「猫伝」という名作を読んでいたかもしれません。

    「三四郎」にも、次のような逸話があります。  

    漱石は「青年」「東西」「三四郎」「平々地」などの題をあげて、連載する朝日新聞の担当者に、選んでもらいたいと手紙を出したところ、「三四郎」が一番平凡でいい、という漱石の意思もくんで「三四郎」に決まったとのことです。巧まずして出色の題になったようです。

    ところで、今世界で一番人気のある日本人作家といえる村上春樹の5作目の長編「ノルウェイの森」は当初は「雨の中の庭」というタイトルで書き始められたそうです。このタイトルはドビュッシーのピアノ曲集「版画」の中の一曲「雨の庭」に由来します。しかし、題名に迷った村上春樹が、妻に作品を読ませて意見を求めると、「ノルウェイの森でいいんじゃない?」という返答があったといいます。ビートルズの曲の題をそのまま本の題にするということで、本人は当初気が進まなかったらしいですが、周りの「『ノルウェイの森』しかない」という意見に押されて今のタイトルとなったとのこと。これも巧まずして出色の題になったといえるのではないでしょうか。

    もうひとつ、村上春樹の著作で、「中国行きのスロウ・ボート」という短編があります。

    村上春樹の作品の多くは内容を決めずに題名だけ考えて書き始められるといわれています。「中国行きのスロウ・ボート」はジャズサックス奏者ソニー・ロリンズの演奏で有名な「オン・ナ・スロウ・ボート・トゥ・チャイナ」というスタンダードナンバーから取ったタイトルです。小説のタイトルにこの曲名を使った理由として、「僕はこの演奏と曲が大好きだからである。それ以外にはあまり意味はない。『中国行きのスロウ・ボート』という言葉からどんな小説が書けるのか、自分でもすごく興味があった」と村上春樹は述べています。

     

     

     

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