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    11月15日 第2393例会 |

    11月15日 第2393例会

    履歴書No.6

    3,4回生の2年間は有機製造、木本研究室にどっぷり浸かり充実した学生生活を過ごしたが、卒業が近づき就職のタイミングで、お世話になった國貞の叔父、叔母、親戚の目が三國製薬に就職してほしい雰囲気を感じて、気が進まない中で逃げる手はないかと模索し、1年前に大学に修士課程の大学院が出来たのをチャンスと、半年間猛勉強し大学院に入学することが出来た。将来私が卑屈に感じてはいけないと、叔父の提案を断り大学4年間の授業料は両親が苦労して出してくれた。さすがに大学院は突然わたしの我が儘で、親にも無理掛けられないので、奨学資金と家庭教師アルバイトで資金調達の一部とした。修士2年間も木本教授にお世話になった。楽しい研究生活であった。修士終了後の就職先は教授推薦で大手製薬会社に内定していた。卒業近くになり、親戚から、親戚の者がお世話になった会社なので、一人ぐらい恩返ししてほしいと叔父の会社に入るよう懇願、説得され、断りきれなくなり木本先生に事情説明したところ、今までで先生の推薦を断ったのはお前だけだと言われたが、気持ちよく了解して頂き、頑張るよう励まされた。4月から三國製薬の社員になったが、一度も会社に顔を出すことなく、5月連休明けから、富山の燐化学工業に出向した。燐化学工業は黄燐の製造メーカで半年お世話になった。黄燐の製造を体験し、「リン」を知ることになった。

    三國製薬は昭和21年、神崎川河川敷に戦前あった製紙会社の跡で薬品製造を初めた。私が入社した昭和43年頃は、研究室人員は、研究部長の下で若い研究スタッフが1名、私を含めて3名、研究からスタート。若い研究者は私より1歳若く、九州の高校を卒業後、集団就職で三國製薬に就職。身体が不自由で家庭の事情(母子家庭、兄弟が多く、長男)で大学に行けなかった。頭は良く、彼の境遇を自分に比べ、これも縁と考えて、彼のために私の知識をすべて教えると約束し、町工場に身を置いた縁もかんがみ、10年間私は地下に潜ると宣言し、今までの友達、環境から身を引いて、彼に寄り添い、中小企業の中に入って行った。当時は30人足らずの社員であったが会社のそばの社宅に住み、皆と一緒に生活を共にした。

     

     

     

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