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    7月31日 第2198例会 |

    7月31日 第2198例会

    先日、新幹線の父と呼ばれる前国鉄総裁の、十河信二氏の事を書いた「不屈の春雷」という本を読んでいた時、大連ロータリークラブが南満州鉄道株式会社 (満鉄)の理事である松岡洋右を招き、話を聞くというような文章が目に付いた。

    ここで満鉄について少し触れておきます、満鉄は1906年(明治39年)に 資本金2億円(日本政府が1億円 清国政府と民間で1億円)で設立され、

    1945年(昭和20年)まで存在した、半官半民の国策会社である。

    事業のはじめは、鉄道と炭鉱の経営であり初代の総裁は後藤新平である。

    閑話休題、ロータリーの一文が有ったので興味を引かれ少しこの時代のロータリークラブの歴史について調べてみました。日本で最初のクラブは、東京ロータリークラブで設立は1920年(大正9年)である、それから国内の主要な都市に次々に出来、その後国際ロータリークラブを脱退する1940年(昭和15年)

    までの20年間に外地にも出来たクラブは、合計11クラブ有る。

    最初は、1927年(昭和2年)に朝鮮の京城(ソウル)に設立され、それから後1928年(昭和3年)に大連ロータリークラブができ、その大連RCの世話で 奉天(瀋陽)RCが生まれ、その翌年にはハルピンRCができた。

    このように旧満州(中国東北部)には次々とクラブができた。

    台湾にも、台北ロータリークラブをはじめとして、3つのクラブが出来、朝鮮にも、合計4クラブができた。

    そしてこの間には、有名な大連RCの大連宣言などの論争もあった。

    日本のロータリークラブの戦前における在外の一端である。

     

     

     

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