目次
皆様新年明けましておめでとうございます。
年頭にあたり一言ご挨拶をさせて頂きます。
旧年中は、会員の皆様にはクラブの運営に又私的にも大変お世話になり有難う御座いました。
今年は干支では未年と言うことで、新聞記事に未年は我慢の年だと載っていました。
それは株価の話ですが、記事には過去5回で見ると上昇が3回、下降が2回で極端な動きは無く、言わば平凡なところと言ったところでしょうか。
また未(羊)といえば、羊毛もイメージ出来ると思います、暖かい感じです。しかし昨今本クラブでは会員減少が続き、寂しく少し寒い状態が続いています。
今年こそ、会員増強に全会員の情熱を傾けて頂き、この流れに終止符を打ち、振り返ればあの年が流れを変える分水嶺であった、と感じられる年にしたいと念願いたします。
会員皆様のご協力を宜しくお願い致します。
最後になりましたが、本年が会員皆様はもとよりご家族様ともどもご健康ご多幸を祈念いたします。
掲載日:2015年1月8日 | 目次:会長の時間(過去)に戻る
皆さん、こんにちは。
本日の会長の時間のテーマは「ボランティア」についてです。
ボランティア(英:)とはボランティア活動に携わる人のことであります。
一般的に、自主的に無償で社会活動等に参加し、奉仕活動をする人を指します。語源はラテン語のボランタール(自由、正義、勇気)からきており、広辞苑では、「志願者、篤志家(フイランソロピー)、奉仕者)」「自らすすんで社会事業等に参加する人」という意味です。
“volunteer”を英和辞書で引くと、「志願兵」「義勇兵」と出ています。
「ボランティア」と聞くと一番にピンとくるのが来年で設立50周年を迎える「青年海外協力隊」かもしれませんね。そういう意味で言えば、私のボランティア活動の最初」「阪神淡路大震災」での救援活動でありました。約20年前の出来事で、その時に被災された仮設住宅にお住いになって
いる約半数の方が65歳以上の老人でした。当然現在ご存命の方は85歳を超えておられます。
本日の卓話は、「阪神淡路大震災」から20年経過してもなお続けているソニー生命ボランティア有志の会とその活動内容、がん患者を支援する「リレー・フォー・ライフ」知的発達障害者の応援の為の「スペシャルオリンピックス」、「東日本大震災」披災者への救援活動等、についてお話させていただく予定です。よろしくお願い致します。
掲載日:2014年12月18日 | 目次:会長の時間(過去)に戻る
皆様今晩は、先日豊中南ロータリークラブの定款・細則に則り、吉田指名委員会委員長を始めとする指名委員により、次年度理事 役員候補者の名簿提出を頂きました、指名委員の会員には候補者選考お疲れ様でした。
この件につき、12月4日(12月の第一例会)に総会を開催し、承認をお諮りしたところ会員の協力のもと、無事承認を頂き有難う御座いました。
新年より、次年度に向けての被選理事会が始まります、そして今期の理事会との同時進行のクラブ運営となります、複数の会員には両理事会のメンバーということで、一層負担を掛けると思いますが、ご協力を宜しくお願い致します。
大変聞きやすく、受け入れやすくなるようです。
そして要点は1つか2つに絞り、「決して何もかも話そう」なんて考えないことです。
挨拶は簡潔に。そして一番簡単で実行出来ない「ゆっくり」をやってのければ、いい評価が得られると思います。
掲載日:2014年12月6日 | 目次:会長の時間(過去)に戻る
今月12月はロータリークラブでは家族月間と定められています。
この月間は2003年~2004年度のRI会長、マディアベさんの提唱により始められた、比較的新しい月間です。
先ずは、この月間は会員自身の家族との、楽しい月間とするようにとの趣旨であります。
そして、ロータリー活動をする時、何時でも家族の事を考慮するようにとの事です。
12月は、家族と共に過ごす機会も多く日頃のロータリー活動の協力に感謝する良い機会だと思います。
最近は、少し家族との繋がり絆といった事が希薄に傾いているように感じますが、東北の地震、津波を機にマスコミ等では、家族の大切さを訴えています。
しかし日頃より家族の繋がり、絆の大切さは不変のものと考えます。
この家族月間は、まずは会員自身の家族、そしてその他のRIが規定する「ロータリー家族」の関係者達と、会員、クラブが一緒になり、各世代が共に活動できる国際プロジェクトも視野に入れた、大きな「ロータリー家族」の構築が望まれています。
掲載日:2014年12月4日 | 目次:会長の時間(過去)に戻る
知人と友人
皆さん、知人と友人の違いって如何思われますか、 先日新聞記事にその様な事が書いてあったので紹介します。
「悪魔の辞典」という、少々難解な本の著者、ブローズビアスに警句が有るという。
それによると、知人とは「金を借りるほどには親しいが、金を貸すほどには親しくない人の事」だと書いてあります。
この事から、ビアスの考えによれば借りもすれば貸しもする双方向の間柄が築かれて、初めて友人と呼べる事だと言うのでしょうか?
さて、このビアスの警句をどの様に理解してよいやらと、考えてしまいますが、辞書(大辞林)には友人とは友達 朋友、知人とは知っている人 知り合いと出ているだけで全くそっけないものです。
一人の人間として、社会で生きていく時、どの様な人でも一人では生きられません、友人 知人を持っている事の大切さ、特に友情の大切さを再認識した記事でした。
これからも、知人、友人との交際はより一層誠実を心がけ、大切な人間関係を保ち続けたいと思っています。
掲載日:2014年11月27日 | 目次:会長の時間(過去)に戻る
月に一度の副会長の出番がきました。
今日は、ゆっくり会長におかれましては、席でおくつろぎを下さい。
さて、皆さんはいろんな所でスピーチされることと思います。
誰もが上手に話したい、訴えたい、など思いはたくさんあります。
一般的に上手く話せない典型的なミスは、早口になることです。
どんなにいい内容でも早口になると感動を与えるどころか、話しを台無しにしてしまいます。
出来るだけゆっくり、感情を所々に入れることに
より相手の心の中に声が届いていきます。
掲載日:2014年11月20日 | 目次:会長の時間(過去)に戻る
ロータリー友誌の一文
ロータリー友誌に、私の注意を引く一文がありましたので少し紹介させていただきます、それは以下の様な文章です。
最近会員の減少により、会員増強が命題となり国際ロータリーは実践的な戦略計画による組織改革を優先するがために、クラブの活動指針である5大奉仕部門における、ロータリー理念が形骸化され価値観、ロータリーの誇りを無くしつつある様に感じると書いておられます。
そして簡単に要約すると、結論として今こそ原点回帰ロータリーは「自分づくり」「人づくり」の機会であり、奉仕することで学び喜びを共有できる場であり、そしてクラブ奉仕をはじめ人の為地域の為の自愛の心を育てる、他に類を見ないロータリーの崇高な精神と5大奉仕こそ、ロータリー会員が自信と誇りを持って鼓吹すべきと書いておられます。
私も、ロータリークラブはクラブ奉仕こそが、 最高の奉仕活動と思っています、人と人が接し生きていく中で他人から認められる時、それこそが最大の人の喜びではないかと思っています。
ロータリー友誌の著者と同様、私も少しこの様に感じていることであり、文章を引用させていただきました。
掲載日:2014年11月6日 | 目次:会長の時間(過去)に戻る
中国絶世美人
中国歴史上の美人は、「沈魚落雁 閉月羞花」と語られる4人の美女が有ります、 西施 王昭君 貂蝉 楊貴妃と言われています。
この名前は、中国の歴史書で有名な司馬遷の「史記」に書かれているが、唯一西施のみどこにも記載が見当たらないので実在の人物か確証が有りません、貂蝉は架空の人物です。
しかし西施(沈魚美人)は「荘子」(中国 戦国時代の思想書)に記載が有り、「顰に倣う」という、有名な言葉も西施の美貌より生まれてきたものであり「一顧すれば、其の城を傾け再顧すれば、其の国を傾ける」の言葉もあります。
それぞれ4人の美人には物語があるが、日本で最も有名で白居易の「長恨歌」の題材にもなっている、楊貴妃について少し書いてみます。
楊貴妃(719~756 羞花美人)は名前を楊 玉環という、貴妃というのは女官の位のことで皇后に次いでの第二位の位の事です。
唐の玄宗皇帝の妃であるが、最初は息子の嫁として登場してきた女性であり、それを皇帝が見初め息子との縁を切らせ、一旦寺に入れ出家した様にして、その後また還俗させ皇帝の妃にしたのです。
皇帝の寵愛あつく、それが為政治に身が入らず政治が乱れ、楊一族の厚遇も有り安緑山の乱なども起こり、為に高官の怨暛の的となり悲運にも楊貴妃は処刑されるに至った。
この様なことで、唐の国の勢威も衰微するに及び、それで楊貴妃のことを傾国の美という事になった。
なお、「羞花美人」という意味は楊貴妃が花園を散歩すると、花たちは彼女のあでやかさに遠く及ばぬ事を恥じ、みな花びらを閉じたということです、これが日本語の「花も恥じらう乙女」という言葉の語源です。
掲載日:2014年10月30日 | 目次:会長の時間(過去)に戻る
本日は西宮ガバナー補佐にお越しいただき、ありがとうございます。
このあともよろしくお願い致します。
兵庫県会議員のカラ出張、切手購入など、不適切な政務活動費の使い道が問題視され、政治と金の問題が改めて取り沙汰されております。
国会議員においては、文章通信費という領収書の添付が必要としない活動費が 1人年間1200万円も存在していること。
また議員の政治団体では、うちわを配布してうちわでないとごまかしている大臣、収支が全く合わないような報告書を出している大臣、選挙区内の市民に寄付行為を行い公職選挙法に抵触しているのでは?というふうにも言われております。
そもそもこの制度は、国会議員が自分達の制度を自分達で決めている。このことがしっかりした制度を作るというより、制度の逃げ道を作っていると言って良いでしょう。
これからも政治と金の問題は永遠に続く問題であり、問題が起こらないような制度を議員が考えるのではなく、第三者機関が考えた方がいいのではないでしょうか〜!
掲載日:2014年10月23日 | 目次:会長の時間(過去)に戻る
椋橋総社 神社(豊中 庄本)の伝説
豊中市の南西端に椋橋総社が有ります。古くはかなり広い氏地であった様ですが、現在は庄本町 二葉町の町域が氏地の神社です。
この神社には、古くより鯉にまつわる言い伝えが有ります、それはこんな話です。
昔、行基(668~749 奈良時代の僧)がこの地を訪れ、猪名川に板橋を架けようとしたが、流れが速くうまくいかなかった。そこで椋橋総社に参籠して工事の成功を祈願したところ、無数の鯉が集まり背をならべて魚橋となり、それによって無事板橋を架ける事が出来た、という事で行基は椋橋総社の祭神が鯉を遣わして工事を助けて
くれたと大いに感謝し、それ以来椋橋荘の人々に鯉を捕ったり食べたりする事を禁じたということです。なお椋橋総社の祭神はスサノオノミコトと神宮皇后です。
それともうひとつの話は、行基が戸の内の治田寺に来られる際、猪名川が大洪水となり橋が流され、寺の大衆が船筏を組んで行基を迎えようとしたが上手くいかなかった。
其の時、鯉が群れをなして現れ背を連ねて行基の前に集まった、そこで行基は鯉の背に乗り無事、川を渡ることができたというものです。
この様な事で、鯉は氏神の使いという事に成り、昔よりこの庄本に住んでいる人は鯉を大事にし、食べる事はもとより万が一鯉を捕える事があっても、神社に有る鯉池に放してやり、死んでしまった鯉は境内に有る鯉塚に埋める事になっています。
この様に、鯉は椋橋総社の象徴であるといえる。
なお椋橋総社の例祭の時に着る法被には鯉の絵柄が鮮やかに染め抜かれている。
掲載日:2014年10月16日 | 目次:会長の時間(過去)に戻る
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