8月9日 第2381例会
私の履歴No.3
中学校時代はあまり勉強した記憶がない。
喧嘩は良くしたが、イジメはなかった。軍隊帰りの怖い先生の時間、クラスで誰かに粗相があると、級長前に出ろと呼び出され、教室の前から後ろまで顔を往復びんたでぶたれ、ほほの内側が切れて家に帰ると、食事がしみて痛いが、常にお前が悪いで片づけられた。一方で新制大学をでた先生の家によく遊びに行き、先生からウイスキーを飲まされ、初めての経験で身体が瞬間宙に浮かんだ感覚は今でも思い出される。先生からは、これがアルコールだ、ここでしか飲んではいけないと固く注意された。私は幼少の時から、体が弱くよく医者のお世話になったが、この子は二十歳まで生きられないだろうと言われていた。どうせ俺の命は20歳までなら思い切り何でもやろう。という気持ちで行動した。高校受験の時、当時は区域制が敷かれていて高校は決まっていたが、担任から区域外であるが、県下では優秀とされていた高校に推薦され、受験条件のためその校区内に私の住民表を移すべく寄留して受験、呉三津田高校(旧呉一中)に入学した。子供心に自分の進む道は多くの人のご縁、導きで決まると感じた。
掲載日:2018年12月2日 | 目次:会長の時間(過去)に戻る