8月23日 第2382例会
履歴書No.4
高校は中学とは一変して、全く自由で、のびのびして叱られることもなく、全て自己責任で処理され。逆に面食らった。高校生立ち入り禁止の街中を数人で探索したが、全くの放任ではなく、絶えずチェックされていたようだ。補導されることはなかった。当時、ロケット遊びがはやっていて、友人と2人で、綿火薬を合成して、アルミの鉛筆キャップに綿火薬を詰めて、校庭で火をつけてどれが高く飛ぶか実験していたところ、化学の先生に見つかり、実験したいなら、先生の教室に入れと言われ、化学クラブに入ったことで、大学の進路が決まった。担任教師から畝尾君は知能指数の数値からすると、成績はもっと良いはずと言われたが、猛烈に勉強した記憶はない。戦後しばらくの間は、燃料に山の松をマキにして使っていた。度々、夜中に山に木を盗みに来る人が多く、父に連れられて、泥棒追い出しと、あくる日は伐採された木の整理を手伝いさせられた。隣との山の境界線は境界石であったが豪雨のあとは石が移動し、隣の地主と境界について口論している姿を見て、長男として財産を守らねばならないことに 苦痛を感じていた。
当時、大学、就職は東京、大阪の大都市に行く人が多く私も縁があって大阪に出てきた。
掲載日:2018年12月2日 | 目次:会長の時間(過去)に戻る