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    11月8日 第2392例会 |

    11月8日 第2392例会

    履歴書No.5

    私の叔母(母の妹)の亭主(國貞忠夫)が大阪で三國製薬工業を立ち上げていた。田舎者の私は國貞の家(宝塚)に下宿し、京都山科(京都薬科大学)に通学した。朝5時に家を出、阪急宝塚線で大阪に出て、青森行き普通蒸気機関車で山科まで通った。入学時、先輩たちが各クラブ入部勧誘をしていたが、「能楽部」が目に止まり、私は田舎者百姓の経験から、薬学部で農業用の新薬を研究する農学と思い込みし、入部したのが伝統芸能「能」を知ることになった。クラブ創設して7,8年であったがここ2,3年新入部員が無く、今年入部者が無いと、クラブは消滅するとのことで、4回生の部長さんが必死に私の入部勧誘し、毎日説得された。之も自分の無知から起こったことだし、先輩の熱心さに根負けして入部した。私は芸を演じるよりも、クラブ運営にかかわった。クラブ予算も人数で決まるため、部員獲得に奔走し、文化倶楽部で2位の人数までになり、初めての自演能を出せるところまでに成長した。関西学生能楽連盟にも所属し交友することもできた。各教授が研究室を持っていて、3回生から許されたものが研究の手伝いをしていたが、私は一番人気の木本教授有機合成室に入ることが出来た。お蔭で楽しい実験研究、学生生活が出来た。 

    下宿が許されたのは、3回生になり毎日研究実習が 夜 遅くまで行うようになってから。京都は学生の街と言われ、月に一度皆で小遣いを出し合って、繁華街のなじみの店にご飯を食べに行った。大変なご馳走に預かったが、お客さんの食べ残しをきれいに盛り付け直していたようだ。店にとっても我々は役に立っていたようだ。コンパのとき、お酒は2級酒に研究室の局法アルコールを少々添加し、特級酒にして楽しんだ。後刻、恩師木本先生からは君たち科学で生きる者は、化学の勉強の2倍の時間、文化の勉強をするよう言われた。(後刻、黄燐の中国取引で下手な能が役立つとは)大学生活の思い出づくりとして友人と2人で夏休み北海道旅行を計画した。旅費はアルバイトで作り、宿泊は旅館でなく駅で野宿、札幌駅で時間待ちしていた時、有名な占い師が営業していたが、私たちに目を向け、呼び止められて手相を見てもらった。お金はないので支払なし。その時の師の発言仕事運、結婚運、健康運等が2人の人生にぴったり言い当てていたことに後日驚いた。

     

     

     

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