【ロータリーソング 】 11月29日 第2118例会
皆さん、こんにちは!
例会では毎回、点鐘の後、みんなで歌を歌いますね。私は、入会して暫くの間、大の大人が一斉に歌うことに異な感じを受けましたが、だんだんと慣らされ、今日に至っております。
ロータリーソングを歌うようになった謂れ・歴史と経過等を改めて調べてみました。
ポール・ハリス等4名によりシカゴに最初のロータリークラブが誕生したのが
1905年2月23日です。同年の秋の夜、例会に一時的な静寂が訪れ会話のざわめきが突然止んだ時、5番目に入会したハリー・ラグルスという人が「おい、みんなで歌おう」と音頭をとって当時流行っていた歌を何曲か歌ったのが、始まりです。
その後、シカゴRCは誕生後2年目には、些細な意見の違いが大きくなり、クラブ内が割れ出席率も低下するという事態が起きました。当時クラブ幹事をしていたウィルR・ネッフ医師がハリーに「君が毎週立ち上がって楽しく歌うことにしたらどうか」と云いました。その結果、ハリーの指揮する歌声が、毎回クラブの例会で響くようになり、いつの間にかクラブ内の雰囲気は改善され、シカゴRCは解散の危機を脱したそうです。歌が人々の心を結んだのです。そしてその後誕生したRCにも皆で歌う習慣が伝わって行ったということです。1910年にはハリーはロータリーソングブックの出版もしています。
では、日本ではロータリーソングはいつごろ歌われ始められたのでしょうか。日本で最初のRCは1920年設立の東京RCです。当初はロータリーソングとして英語のまま歌っていたそうですが、「児戯に類する・・・」とて皆あまり乗り気でなかったようでしたが、米人会員E.D.バートンの努力で1926年頃より定着しだしたということです。日本でのRCは東京に続いて内地では大阪、神戸、名古屋、京都、横浜、広島、外地では京城、大連、奉天、ハルピン、台北が誕生し、1930年にはRCは11となりました。
やがて、日本語によるロータリーソングを求める声が高まり、1935年、京都での地区大会で、募集した新作の「日本語によるロータリーソング」が発表されました。「奉仕の理想」、「我らの生業」などです。その後、1951年に「手に手をつないで」、1953年に「それでこそロータリー」、1973年に「日も風も星も」、「四つのテスト」(もともと和訳されていたのに曲をつけたものとされている)等が作られました。
日本語のロータリーソングは、何れもロータリー理念を上手く謳いあげています。歌うことによりご利益があるものと思いますので、これからも大きな声でみんなで歌っていきましょう。
これで会長の時間とさせて頂きます。有難うございました。
掲載日:2013年3月19日 | 目次:会長の時間(過去)に戻る