【ロータリーソングその2】2月21日 第2128例会
皆さん、こんにちは!
本日は豊中RCとの本年度2回目の合同例会です。豊中RCの皆様、ようこそお出でになり有難うございます。例会の持ち方は前回とは裏返しで、豊中南スタイルとなっておりますので、ロータリーソングの後に皆と握手を交わすとか、豊中RCの皆様には不慣れなこともありますが、ご理解ご協力、宜しくお願い申し上げます。
今日は、日頃、私共が歌っているロータリーソングの逸話を少しばかりですが、お話したいと思います。
奉仕の理想に 集いし友よ 御国に捧げん 我等の生業
望むは世界の 久遠の平和 巡る歯車 いや輝きて
永久に栄えよ 我らのロータリー ロータリー
日本で初めて日本語のロータリーソングが生まれたのは、昭和10年のことです。この年、京都で日本の地区大会があり、募集した新作の「日本語によるロータリーソング」が発表されました。その時の当選第一位はあの有名な「奉仕の理想」であります。
作詞者は京都RCの前田和一郎氏で国際派のロータリアンで、応募した歌詞の原詩は、世界に捧げん 我らの生業でした。
ところが、地区ガバナーより、歌詞の中の「世界に捧げん」を「御国に捧げん」に変えなければ、当選は無効という通達が出され、作詞者の前田氏は涙を呑んで変更を承認されたとのことです。
日本は、1931年満州事変、1933年国際連盟脱退、それらをきっかけに、ロータリーという名前や、その本部がアメリカにあることから、ロータリークラブは秘密結社やスパイと疑われました。日本語による初のロータリーソングも、先人達は、この時代の流れの中で、歌詞を変えて自己の存在をアピールされたのではないかと私は思います。
また、月初の例会に、君が代を歌うという、現在ではごく普通な光景で、私も何気なく唱和していますが、これも又当時、国への忠誠心を示すために考えられた歴史的な名残であるといわれております。
その後、日本のロータリークラブは、国より迫害を受け、当時、日満ロータリークラブ連合会長米山梅吉氏が当局に呼び出され、ロータリーの組織機構は大日本帝国に対する反逆であると極言されるに至り、1940年当時、内地にあった37クラブ、台湾の3クラブ、朝鮮の4クラブ、満州の4クラブの全て(会員総数2122人)が国際ロータリーから離脱を余儀なくされたということです。
これで会長の時間とさせて頂きます。ご清聴、有難うございます。
掲載日:2013年5月26日 | 目次:会長の時間(過去)に戻る