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    【能勢街道】2月28日第2129例会 |

    【能勢街道】2月28日第2129例会

     皆さん、こんにちは!

     アイボリーの新免館の道路脇に「能勢街道」の石碑があります。今日は、この能勢街道につき、お話ししたいと思います。

     お手元にお配りしましたカラーの地図をご覧ください。中央左の赤い斜線が今の豊中市であります。さらに赤い太線で囲ったところが旧豊中村です。そして青い線の道路が、「能勢街道」であります。こう見ますと、今の豊中市を南北に「能勢街道」が貫いていることがわかります。

     能勢街道は、その昔、池田や能勢で取れる炭、酒などの産品を大坂に運ぶ産業道路であり、また大坂より能勢妙見をはじめ多田神社、西国観音寺などへ向かう参拝の道でもありました。この街道は「多田銀山」に通じることから「銀山街道」とも言われていました。上方落語にあります「池田の猪買い」でも、大坂の間抜けな男が、池田へ猪肉を買い求めに、この「能勢街道」を池田まで辿る様子が面白く語られています。私は、その昔、息子らが小中学校時代に自転車で探検と称して3人で、三国から池田まで、辿ったことがあります。

     能勢街道の南の起点は、大坂の高麗橋で、中津で中国街道より北に分岐し、十三を経由し、三国から、豊中市内に入ってきます。阪急三国駅から、天竺川の堤を北にとり(昔はここに“三国の渡し”がありました)、稲津から176号線を西に横切り、服部天神宮の裏鳥居前を通り、中豊島小学校の前から、また176号線を東斜めに横切り、城山町に入ります。そこから旧道の痕跡がなくなっていますが、176号線の南桜塚交差点より西北に辿ると、原田神社の表鳥居前にでます。お手元に配りました鹿島友治先生の説明書では、阪急電車が通るまで、この鳥居前から大阪方面へ馬車があったとのことです。

     能勢街道は、原田神社北鳥居前よりさらに北上し、阪急豊中駅の近くで、176号線に合流したのち、豊中駅ロータリーを東に折れ、50m程をさらに左(北)に折れ、新免村を貫通し刀根山に向かっています。

     国道176号線は、昔の能勢街道を進化させた形で開かれた産業道路です。阪急電車も能勢街道に沿った形で敷設されています。豊中市は、この産業道路と阪急電車により、今日の繁栄がもたらされたといっても過言ではないと思います。そして、遡れば、この能勢街道が豊中の発展の源泉の一つであるように私には思えてなりません。

     「能勢街道」は、今ではその痕跡すら判らなくなっているところがありますが、そこはかとなく微妙なカーブを描く道を辿り、昔の様に想いを馳せれば、なぜか心が癒されるように感じます。いい季節になりましたら歴史ウォーク同行会で、この「能勢街道」を歩く企画をいたしますので、体感して頂けることを願いまして、会長の時間とさせていただきます。ありがとうございました。

     

     

     

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