10月16日 第2207例会
椋橋総社 神社(豊中 庄本)の伝説
豊中市の南西端に椋橋総社が有ります。古くはかなり広い氏地であった様ですが、現在は庄本町 二葉町の町域が氏地の神社です。
この神社には、古くより鯉にまつわる言い伝えが有ります、それはこんな話です。
昔、行基(668~749 奈良時代の僧)がこの地を訪れ、猪名川に板橋を架けようとしたが、流れが速くうまくいかなかった。そこで椋橋総社に参籠して工事の成功を祈願したところ、無数の鯉が集まり背をならべて魚橋となり、それによって無事板橋を架ける事が出来た、という事で行基は椋橋総社の祭神が鯉を遣わして工事を助けて
くれたと大いに感謝し、それ以来椋橋荘の人々に鯉を捕ったり食べたりする事を禁じたということです。なお椋橋総社の祭神はスサノオノミコトと神宮皇后です。
それともうひとつの話は、行基が戸の内の治田寺に来られる際、猪名川が大洪水となり橋が流され、寺の大衆が船筏を組んで行基を迎えようとしたが上手くいかなかった。
其の時、鯉が群れをなして現れ背を連ねて行基の前に集まった、そこで行基は鯉の背に乗り無事、川を渡ることができたというものです。
この様な事で、鯉は氏神の使いという事に成り、昔よりこの庄本に住んでいる人は鯉を大事にし、食べる事はもとより万が一鯉を捕える事があっても、神社に有る鯉池に放してやり、死んでしまった鯉は境内に有る鯉塚に埋める事になっています。
この様に、鯉は椋橋総社の象徴であるといえる。
なお椋橋総社の例祭の時に着る法被には鯉の絵柄が鮮やかに染め抜かれている。
掲載日:2014年10月16日 | 目次:会長の時間(過去)に戻る