8月21日 第2200例会 <藤本副会長>
方言でしゃべる人
国会で質問をしている議員が関西弁でまくし立てていた。矢継ぎ早に相手の弱味を突きながら、声を大にしたり抑揚をつけたりしている。テレビで中継放送もしているので、ときどきテレビカメラのほうに顔を向けたりもしている。皮肉な見方をすれば、質問をして真実を引き出すよりも、自分が質問する様子を効果的に演出しようとしているようにも見える。
ちょっと行き過ぎで品のないきらいはあるものの、その人の個性がよく出ていた。関西弁でしゃべることによって、よくも悪くも人柄が全面的にさらけ出されている。
旗幟鮮明(きしせんめい)なので、前向きの姿勢であることは、見る人皆に伝わる。
しばらくして、その同じ議員が国会で、こんどは質問される側になった。質問に対して申し開きをするのであるが、非常に歯切れが悪い。関西弁は鳴りをひそめて標準語でしゃべっている。関西弁のなまりは残っているものの、できるだけ感情を抑えた標準語だ。自分を守るために心を閉ざした構えである。
私も広島で生まれ島根で育ったので、標準語をしゃべっているつもりでも、方言のなまりはあちこちに出てくる。地方から東京にきた者にとって方言やなまりは、少なくとも当初はコンプレック
スがある。何とか標準語を話すようにと努力する。
だからこそ田舎に帰ったときは、方言に囲まれ自分も方言でしゃべることによって、ホッとした思いをする。
標準語は白分の「母国語」ではないので、無意識のうちではあっても構えて話しているからだ。それに反して、自分の母国語である方言で話すときは、心を解放して自然に安心して話すことができる。それゆえ自分の感情をフルに表現することもできる。
同郷の者同志で話すときは、方言で話せるというだけでなく、お互いの「氏素性」が知れていて隠し立てがないので気楽である。
また、同郷ではなくとも、方言で話している人には親しみを感じる。まったく知らない方言で話されたら、理解に苦労するが、ちょっとした方言のなまりがある話し方には、気取らない、素直な感じを受ける。また、自分の個性に対して自信を持ち、前向きに生きている姿勢に好感を抱く。方言やなまりはコンプレックスの種ではなく、人からの高感度を勝ち取る強力な武器にもなる。
「ちょっとしたことでかわいがられる人、敬遠される人」
山嵜 武也 著より
掲載日:2014年8月21日 | 目次:会長の時間(過去)に戻る