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    7月31日 第2198例会 | 7月24日 第2197例会 | 7月17日 第2196例会 <中川副会長> | 7月10日 第2195例会 | 7月3日 第2194例会 | 6月14日 第2192例会 | 6月12日 第2191例会 | 6月5日 第2190例会 | 5月29日 第2189例会 | 5月15日 第2187例会 |

    7月31日 第2198例会

    先日、新幹線の父と呼ばれる前国鉄総裁の、十河信二氏の事を書いた「不屈の春雷」という本を読んでいた時、大連ロータリークラブが南満州鉄道株式会社 (満鉄)の理事である松岡洋右を招き、話を聞くというような文章が目に付いた。

    ここで満鉄について少し触れておきます、満鉄は1906年(明治39年)に 資本金2億円(日本政府が1億円 清国政府と民間で1億円)で設立され、

    1945年(昭和20年)まで存在した、半官半民の国策会社である。

    事業のはじめは、鉄道と炭鉱の経営であり初代の総裁は後藤新平である。

    閑話休題、ロータリーの一文が有ったので興味を引かれ少しこの時代のロータリークラブの歴史について調べてみました。日本で最初のクラブは、東京ロータリークラブで設立は1920年(大正9年)である、それから国内の主要な都市に次々に出来、その後国際ロータリークラブを脱退する1940年(昭和15年)

    までの20年間に外地にも出来たクラブは、合計11クラブ有る。

    最初は、1927年(昭和2年)に朝鮮の京城(ソウル)に設立され、それから後1928年(昭和3年)に大連ロータリークラブができ、その大連RCの世話で 奉天(瀋陽)RCが生まれ、その翌年にはハルピンRCができた。

    このように旧満州(中国東北部)には次々とクラブができた。

    台湾にも、台北ロータリークラブをはじめとして、3つのクラブが出来、朝鮮にも、合計4クラブができた。

    そしてこの間には、有名な大連RCの大連宣言などの論争もあった。

    日本のロータリークラブの戦前における在外の一端である。

     

     

    7月24日 第2197例会

    姓と苗字(名字)は本来違うものでした。

    姓(かばね)とは本来天皇が与えるものでした、代表的なものに源、平、藤、橘、が有ります。

    例えば平氏の姓は第50代桓武天皇(737~806)が与えたのが始まりで、また源氏の姓は、第52代嵯峨天皇(786~842)が与えたのが始まりです。

    ここにして初めて、平氏、源氏の姓が生まれた。

    なお平氏は、これより時代順に仁明 文徳 光考の各天皇から生まれた、また源氏は淳和 仁明 文徳 清和 陽成 宇多 醍醐 村上 花山と沢山の天皇より生まれた。

    なかでも有名なのは、桓武平氏であり清和源氏である、なでなら桓武平氏より出た平 清盛が出世し、清和源氏より出た源 頼朝が幕府を開いたからである。

    さて苗字の方であるがこれは名字(あざな)ともいい、意味が苗裔つまり末裔を意味しており天皇とは何の関係も無いものである。

    苗字のつけかたは、初めは豪族が姓にならい豪族の領地の地名から起こり、領

    地を持たない一般庶民は、自分で考えて名づけたり、庄屋、名主といった人々に

    考えてもらいつけた。

    その理由は、自分の身内と他人との区別の為で発展した。

    なお今は1875年(明治8年)の法律(平民苗字必称令)ですべての国民が、苗字を名乗る事になり、姓を苗字に統一したので、其の区別が解らなくなった。

     

     

    7月17日 第2196例会 <中川副会長>

    本年度より第三木曜日の会長の時間は、副会長が担当し挨拶をするよう決定され、本日から実施されます。

    よって本日は、副会長の中川より会長の時間を担当させていただきますので宜しくお願いします。

     今、世間を騒がせています、地方議員の政務活動費についてお話します。

    政務活動費は議員が職務を全うするために、必要とされる経費を意味していますが、使用した金額全てを報告しなければなりません。

    よく使用される項目は、事務所費(家賃、光熱費)、人件費(秘書)、広報(府政報告費)などで、予算のほとんどをこれに費やしてしまいます。

    事務所を機能させていない議員がいたとすれば、政務活動費を余らせる可能性が非常に高くなります。

     

     

    7月10日 第2195例会

    今年度会長の時間の運営に就き、一部変更をしましたので少し説明をさせていただきます。

    従来、会長の時間は文字どおり、会長が一人で任期期間中すべてを担当していましたが、今年度私の要望をいれていただき、毎月の第3例会は副会長に担当していただく事になりました。

    又今年度は副会長に、複数の三名の会員に就任をしていただいております。

    この運営変更の目的は、ひとつには副会長に会長の時間を経験していただき今後の参考としてもらう事です、それともうひとつには、会長の担当回数の軽減です。主には以上の理由によります。

    三名の副会長は、いずれも話題豊富で話も上手ですから、愉快な話や参考になる話等で会長の時間を、楽しく意義あるものにしていただけると期待しています。

     

     

    7月3日 第2194例会

    「会長就任挨拶」                 

    皆様こんにちは。2014~2015年度会長に就任いたしました増山 忠雄です。どうぞ宜しくお願い致します。

    豊中南ロータリークラブの46人目の会長となります。本クラブはそれだけ長い歴史を持ち、またこれまで多数の先輩諸兄が素晴らしい奉仕事業を行ってきた、実績のあるクラブです。

    このような本クラブの会長に推薦、指名を頂いたことは大変光栄であり、またその一方で責任の重さを思うと身の引き締まる思いです。この初心を忘れないようにしたいと思います。

    見かけどおりの不才、浅学の者ですが会員皆様のご指導、ご協力をいただき任務

    の遂行に努力を傾けていく所存です。

    どうか最後まで変わらぬ尽力をお願いいたします。

     

     

    6月14日 第2192例会

    新旧引き継ぎ懇親会 

     私の任期も残すところあと2週間となりました。

    思い起こせば1年前、宝塚で新旧引き継ぎ懇親会が行われた時の事、私に45周年の会長が務まるのか、プレッシャーを感じていた事を昨日のことのように思いだします。

    本年度、会長所信で10項目の公約を掲げ担当委員長に実施をお願いしました。

    RI会長テーマーと2660地区方針を熟考した公約です。1年を振り返り、1項目だけ果たせていない約束がありました。

    ⑤東日本大震災への積極的な支援活動の継続です。

    先週、臨時理事会を招集し、震災支援事業につき協議し、継続事業である岩手県みちのくみどり学園に対する支援を実施する運びとなりました。

    西口PPから学園のご要望をお伺いしたところ、駅までの交通アクセスが悪い立地の中、子供達が利用できる自転車があれば嬉しいとのご要望を受け、贈呈する運びとなりました。

    6月19日にみちのくみどり学園を訪問します。

    最終の例会で1年ぶりの学園のご報告させていただきます。

    まもなく2014~2015増山会長年代にバトンタッチします。

    増山会長、何卒宜しくお願いいたします。

    1年を振り返って“思い”は6月26日の最後の例会でお話しさせていただきます。

    本日の新旧引き継ぎ懇親会は1年間の奉仕活動に対する労をねぎらい、新たな 1年に向けての夢を語りあいましょう。

     

     

    6月12日 第2191例会

    板東俘虜収容所跡ベートーヴェン「第九」日本初演の地

    本日の卓話は豊中南ロータリークラブ45周年記念事業、豊中夢の第九コンサートのダイジェストDVDの鑑賞会です。

    当日のパンフレットで日本で初めて第九コンサートが行われたのはコンサートホールではなく、徳島県の俘虜収容所であることをお伝えしました。ただしこの情報はインターネットから得たもので、私自身が非常に気になっていましたので、真実を確かめるべく6月7日に徳島県鳴門市、四国八十八か所の1番札所霊山寺近くにある坂東俘虜収容所跡及び収容所の資料館であるドイツ館に行ってまいりました。

    本日の会長の時間は第九交響曲日本初演の経緯についてお話しさせていただきます。

    話は第一次世界大戦に遡ります。日本は第一次世界大戦で中国にある青島でドイツ軍と戦い、短期間ではあったが激戦を制した。負けたドイツ軍は武装解除され日本に設けられた12か所の俘虜収容所に収容され徳島がその一つだった。囚われの身、俘虜と聞けば、自由の束縛や厳しい労働環境をイメージしがちだが、  1907年に日本が調印した「第二ハーグ条約」に基づき「俘虜は人道的に扱う」と国際条約で約束がなされていた。食事、衣服などはその国の軍隊と同等であることや、俘虜に対する俸給の取り決めまでが明記されていた。とは言うものの、第一次世界大戦最中の食糧難や鉄格子で囲まれた収容所からの脱走事件もあるため、俘虜達の不自由の中の自由は収容所所長の人格に委ねられていた。

    1917年から終戦までの4年間、44歳の若さで坂東俘虜収容所の所長を務めた大日本帝国陸軍中佐である松江豊寿(まつえ とよひさ)の人格は素晴らしかった。松江はドイツ人の俘虜達に人道に基づいた待遇で彼らに接し、可能な限り自由な様々な

    活動を許した。1920年4月、第一次大戦終了に伴い 板東俘虜収容所は閉鎖されたが俘虜たちは解放された後もここで受けた温かい扱いを忘れず「世界のどこに松江のような素晴しい俘虜収容所長がいただろうか」と語るほどだった。松江の行動は武士道に起源すると言われている。収容所で俘虜が発行していた新聞に武士道について紹介されている。

    「第一原理は自己の命を軽んじ、自己の行いに責任を持ち、自制心を鍛錬し、恥を知ることである。決断に際しては熟考し、臆病でないこと。主人と祖国のためには進んで命を投げ出すこと。弱者と貧者に対して好意を持ち、親切であること。」

    また、「普通の考えではどうにもならない事を別の方法で考える」といったポジティブな所長方針を強く唱えていた。例えば予算難の折、俘虜から食事の改善要求があれば、木を伐採し薪代を節約するとともに自給自足を実現したり、外出が困難な俘虜が「海で泳ぎたい」と要望すれば、衛生上足を洗うとの軍に対する申請で、海水浴に連れ出したり、地元中学校に音楽の先生として俘虜の派遣も行った。こんな松江所長の愛情ある管理体制と、ドイツ人の誇り高き文化的な国民性、積極性がマッチして所内で様々な活動が展開された。

    文化活動として週に2回講演会が開かれた。語学、地学、生物学、ドイツ文学など講演は数百回にも及んだ。ボーナー二等海兵は「ドイツの歴史と芸術」について30回以上の講演を担当し、第九演奏会に先立って、その成り立ちと意義についての講演も行っている。後に氏は大阪外国語大学で教鞭をとった。所内新聞「ディ・バラッケ」の発行は印刷、デザイン、構成の技術を持つ兵士が担当し、初年度で35万枚、2年目で55万枚、計算すると毎日ほぼ1500枚が手刷りで印刷されたことになる。

    スポーツ活動ではスポーツ委員会が計画を練り、テニス、サッカー、ホッケー、体操、レスリング、ボクシングの練習場、ビリヤードやボウリング場までが作られた。

    食文化としては製パン工場、製菓工場が設立され、市内在住の藤田只之助氏は所内でガーベル一等海兵より技術を学んだ。後にパンとケーキの店「独逸軒」(どくいつけん)を開き沢山の弟子を育てている。酪農技術を生かしたチーズ、バターの

    製造、ソーセージやハム、ベーコンの加工所も所内に設立し、地元日本人にもノウハウを提供した。

    20世紀初めの20年間、物理、化学、医学の部門でいくつものノーベル賞を受賞したことからも判るとおり当時ドイツの化学、技術は素晴らしい発展を遂げていた。日本政府もそれらを積極的に学ぶよう推奨していた。地域の人達と俘虜との交流や技術指導も盛んに行われ養鶏・養豚・野菜栽培から建築・設計まで広い分野で交流が行われたと言う。

    ボランティア活動では周辺地域に10か所の橋を建設し今でもドイツ橋の名称で残っていて今では国の有形文化財に登録されている。

    俘虜の職業は様々であるが文化的な趣味も多彩であった。特に芸術関係にはたけていて入所まもなくオーケストラと合唱団が編成されていた。楽器集めは楽ではなかったが、個人所有の楽器は没収を免れた。戦場に楽器を持参しているドイツ人の文化意識の高さも驚きだ。リーダーで指揮を務めたハイゼン氏はもともとドイツ軍の軍楽隊長であった。

    オーケストラのメンバーは立ち上げ時45名で2年半の間に45回のコンサートを開催している。

    1918年6月1日、日本初のベートーヴェン第九を演奏したのはこのメンバーで、縦35㍍、横 7.4m㍍の講堂で開催された。男性ばかりの合唱団でアルトとソプラノの女性パートは男性用に書き直された。

    鳴門市ではこれを記念して毎年6月の1週目に第九コンサートを開催し全国から沢山の愛好家が参加しています。1000人のドイツ人俘虜 の活動はどこかロータリー活動に似た活動のように思えます。

    それぞれの職務能力を生かして地域と社会に貢献する。そこには奉仕の精神と人々の交流があり感動がある。

    皆様も是非機会を作って第九発祥の地、鳴門を訪問してみてください。

     

     

    6月5日 第2190例会

    生演奏が生体と心に及ぼす影響

    6月はロータリー親睦活動月間です。

    レクリエーション活動や保健と医療問題に共通の関心を寄せるロータリアンや、類似した職業を持つロータリアン同士の国際親善と善意の重要性を認識し、親睦活動への参加の増加及びこのプログラムに対する理解を促進するため、RI理事会によってロータリー親睦活動月間として指定されました。RI理事会は、各親睦グループがプロジェクト、活動及び催しを通して6月の「ロータリー親睦活動月間」を祝う活動を強調するよう奨励しています。ちなみに現在、最も長く継続して活動を行っているのが1947年にボート好きのロータリアンのグループが、自分たちの船にロータリーの旗を掲げ、自らをロータリアンの国際ヨット親睦グループと名乗り始めました“ヨット親睦グループ”です。

    本日の会長の時間は生演奏が人に与える影響についてお話しします。

    月初はピアノの皆川先生にも会長の時間を聞いていただけるので1年間の感謝の意を込めてこのテーマを選択いたしました。

    音楽による癒し談義の歴史は古く,ギリシャ神話や旧約聖書に病気治療に音楽を用いたことや,プラトン、アリストテレスが病気治療に音楽が役立つと勧めたという記録もある。

    わが国における音楽療法の始まりは1967年で、当初は精神科や障害者の施設で用いられてきた歴史がある。

    現在音楽療法の使用は、環境への順応,不安や痛みの軽減,動きを良くする,刺激を与える効果として有効に用いられている。

    一方,音楽が生体や心理に与える影響に関する研究報告には、生理学,心理学,医学,精神心理学,看護学,音楽療法,作業療法,心療内科,ホリステック医学研究,エレクトロニクス,電気学工学,人間生活工学など多岐にわたる領域での研究取り組みがみられる。心拍数,血圧・呼吸,脳波,血行動態,皮膚表面温度の計測により、生体の恒常性や免疫力,リラックス効果,ストレス緩和などの科学的なデータも報告されている

    人が自分の精神的苦痛を癒されたいと思うとき,①自然の中で癒されたいと思う場合②人に慰めてもらいたいと思う場合③仲間,社会によって癒されたいと思う場合の3通りがある。①自然への欲求はデジタル的な音楽で満足され,②人問による癒しはアナログ的な音楽で叶えられ,③仲間・社会による癒しは音楽界やライブに行くことで達成されると述べられている。

    生演奏が体と心に良い影響を及ぼすことを立証するために実験が行われた。

    生演奏を聴く前後の血圧・脈拍数,皮膚表面温度および心にどのような影響があるかを計測し調査を行った。

    対象者は10歳から80歳までの男女99名、演奏はサックス・ピアノ,および歌唱で,曲目は、自然や季節感がイメージでき,郷愁を覚えるような,日本の四季,枯葉,海上のピアニスト,母さんの歌,アメージンググレース,ホワイトクリスマス,聖この夜などが選曲された。

    結果は,演奏を聴いた後が演奏前より血圧低下が約70%の人に、脈拍数の減少は約90%の人に見られた。皮膚表面温度の変化は,前半と後半の演奏とも皮膚表面温度が約2℃上昇していた。

    こころに及ぼす影響は,演奏前にこころの緊張状態にある者が約半数を占め、いら立ち,不眠,憂欝,苦痛,不安の順であった。演奏後に気持ちが変化したと答えた人が8割あり,その変化はリラックスできた,楽しかった,感動した・感銘を受けた,心が落ち着いた,気持ちがほぐれた,心豊かになった,肩こりが軽くなったなどであった。

    これらの結果は、副交感神経系が優位になった現れと考えられている。副交感神経系の興奮は,生命力・自然治癒力の回復、維持につながる。

    現代社会では何かと交感神経系の緊張を伴う生活を送っていることから、生演奏は生体にくつろぎを与え,交感神経の緊張を緩め,本来生体が持っている生命力・自然治癒力が働きかけやすい状態にする効果があると考える。

    週に1度、例会の場で皆川先生のピアノの生演奏を聴ける我々ロータリアンは幸せです。

    会社経営や社会活動で緊張した副交感神経が緩まり、生命力が活性化しているのです。

    皆川先生、いつもありがとうございます。

     

     

    5月29日 第2189例会

    創立45周年記念事業及び式典を終えて

    5月25日、創立45周年記念事業及び式典が無事終了いたしました。

    豊中南ロータリークラブのメンバーが力を合わせた証が素晴らしい結果として出たものと確信します。姉妹ロータリークラブに対するおもてなし、記念事業『豊中夢の第九コンサート』の実現、記念式典及び祝賀会の全行程において、市民の皆様が、姉妹、近隣RCメンバーが、関係団体、行政に喜んでいただいたと実感しております。

     本日の会長の時間は45周年記念事業についてお話しいたします。

    まずは事業計画の経緯について振り返ってみます。昨年春、被選理事会で新年度の組織を検討し、45周年実行委員会の委員長が二井委員長に内定した段階で早くも準備がスタートいたしました。新組織と45周年実行委員会組織を同時に決定する多忙な人選ではありましたが、二井実行委員長の卓越した指導力、行動力、説得力と、大役の依頼にも関わらず「私でよければ喜んで」と3部会長に快諾いただいた翌週から組織は動き出しました。

     まずは記念事業内容の検討です。2660地区、福家宏ガバナーがRI会長の

    メッセージを受け提唱された地区方針「感動の体験を!!人々にも、自身にも」

    Participate!! ~参加し、敢行しよう~ を受け事業内容を検討いたしました。人々とは地域社会の人々で自身とはロータリアン及び家族と解釈し、体験とは経験したことのない何らかに対するチャレンジで、そのチャレンジに感動が伴う事がキーワードと解析しました。もちろん地域社会の人々とロータリアンが共に参加し敢行できる事業であることは言うまでもありません。物品の寄付、寄贈も立派な事業ではありますが、チャレンジや感動、市民参加のコンセプトとは異なるので物を買って贈るだけの事業は廃案。4年前に大成功を収めた子供音楽祭の再演は今や他団体の継続事業となってしまっているので廃案。多方面から検討に検討を重ね、私のわがままも考慮いただき「第九コンサート」の構想が有力候補に浮上いたしました。構想の次は実施の可能性の検討です。音楽のエキスパート、大阪音楽大学にご相談、試算していただいたところ、我々の事業予算では実施が困難であることが判明しましたが、諦めるのではなく「出来る方法」を実行委員会で検討いたしました。一番予算のかかる管弦楽団の費用を音大生の授業としてカリキュラムに取り入れていただく事で現実性が高まりました。ただし1年生が技量不足、4年生は就活があるため 新2年生と新3年生で編成する管弦楽団になるとの事。何の迷いもなく・・・。記念事業の準備が早かったので可能となった対応です。合唱団、管弦楽団の募集、レッスンの方法、日程、公募の印刷物、チケットの販売方法、時には意見の相違もありましたが、二井実行委員長と長谷川事業部会長の熱心な調整により、「出来るためにはどうするか」をコンセプトに一つ一つ問題を解決していきました。

    当日のコンサートを評価すると、カレッジオペラハウス岡先生の音楽性から見た芸術点はプロを100点として70点でしたが、事業目的の達成率では私は100点と評価します。出場された市民合唱団の方々からは今までに感じたことのないくらいの感動を味わったと高い評価を多数いただいております。大阪音楽大学管弦楽団からは、厳しいレッスンでしたが是非また参加したいのと、合唱団の皆様に花束を渡したいとの再会を願う思いが寄せられています。「久しぶりに両親が会いに来てくれた」との予想どおりの親子の再開も果たしています。ソリストの先生4名からは、「ここまでいけるとは予想していなかった。素晴らしい機会を与えていただいてありがとうございました」とお礼の言葉をいただいております。レッスンを担当いただいた教授も、休日にもかかわらず全員がコンサートに駆けつけていただきました。

    今回、指揮を引き受けていただいた小田野先生とレッスンを担当いただいた山本先生はロータリー財団国際親善奨学生として約30年前にウィーンとドイツに留学されています。我々の先輩が行った社会貢献が、恩を受けた方の“思い”として事業に恩返ししていただきました。ロータリーの活動が“巡る歯車”で帰ってきた瞬間と感動いたしました。

    ロータリークラブは社会奉仕事業を積極的に行う団体であると確信しています。親睦事業、職業奉仕事業、社会奉仕事業のバランスが大切で、ややもすると例会親睦に特化してしまう危険性もあります。例会親睦に時間と予算の配分が偏ると、社会奉仕を目的に入会した新メンバーは退会してしまいます。

    本年度も残すところあと1か月となりました。

    次年度の事業計画を行う重要な準備段階です。本日、次年度の委員会方針を発表する大切なクラブアッセンブリが開催されます。

    積極的な社会奉仕事業を計画いたしましょう。

     

     

    5月15日 第2187例会

    創立45周年記念事業、記念式典を目前に控えて

     我が豊中南ロータリークラブの創立45周年記念式典まで残すところあと10日となりました。

     来週の例会が休会となるため、記念事業、式典までの例会は本日が最終日となります。

    準備は佳境に入り、二井実行委員長をはじめとする長谷川事業部会長、増山総務部会長、岡本式典部会長、また部会メンバーの皆様には次年度と重なる多忙な時期にもかかわらずロータリー活動に尽力いただいている事にまずは深く御礼申し上げます。ありがとうございます。

    今回の周年事業の経済効果を試算してみました。

    豊中南RCの周年事業費から¥600万。事業、式典と来賓の接待関係に支出されます。他に国際交流基金から¥50万程度が支出される予定です。

    夢の第九コンサートで第九の合唱レッスン費用、入場チケット、DVDの販売等で¥120万のお金が動きます。他に120名の出場者が合唱団として11回の練習に参加し、オーケストラが80名、この事業のために準備、レッスンを行います。 楽譜の購入、練習用CDの購入、往復の交通費、駐車場、練習後の交流費などを考慮すると約¥400万の効果があります。

    海外から来賓が40名近く周年事業に参加いただけます。日本での観光も予定されており滞在日数はのべ200日となります。渡航費、滞在費、買い物まで入れると推定¥1,000万の経済効果が見込めます。

    事業当日、出演者を合わせて1,000人が移動し交流します。お洒落もすれば貸衣装もレンタルします。¥500万くらいの効果があるのではないでしょうか。その他の波及効果を含め合算すると約¥3,000万の経済効果があると試算します。地元の経済はもとより国益にも貢献すると確信いたします。

    来週22日木曜日には台北士林RC21名が、23日金曜日には梁山RC19名が、日本入りされ24日の前夜祭、25日の記念事業、式典、26日出国のタイムテーブルで滞在されます。

    皆様、東京オリンピックの招致大使、滝川クリステルのプレゼンを思いだしてください。

    彼女は日本の首都である東京の“おもてなし”の強みを、都市の安全さ、清潔さ、人々の親切さ、豊かな食文化の具体例を効果的に訴え、その姿は世界中の人の心を魅了しました。

    また「おもてなし」について大使は以下のように説明しています。

    「おもてなしは、日本人に先祖代々受け継がれ、最先端の文化にも根付いています。なぜ日本人が互いに助け合い、お迎えするお客さまを大切にするかを示しています」と。

    日本を代表して誘致大使が述べた言葉を尊重し、送迎はもちろんのこと姉妹クラブに敬意を表しておもてなしの心で接しようではありませんか。

     周年事業である「豊中夢の第九コンサート」には来場者と出演者をあわせて

    900名を超える方々に参加いただきます。

    将来の豊中市を担う子どもたちの情操教育の一環として、音楽に親しんでもらう機会を提供するため、中古楽器を集める我々の奉仕活動に賛同をいただいた方々の集まりです。

    周年事業の目的を理解すると、集まっていただいた方々に対するおもてなしの気持ちは高揚すると確信します。

    我々メンバーはお迎えする立場であることを、 この場で再度認識しようではありませんか。

    本年度のRI会長ロン・D・バートン氏は「ロータリーを実践し みんなに豊かな人生を」をテーマに定められました。

    全世界のロータリアンと同じく、私たちも、1年間、このテーマに基づき活動を展開しています。

    2660地区、福家宏ガバナーはRI会長のメッセージを受け、地区方針を「感動の体験を!!人々にも、自身にも」Participate!!(パシティペイト)~参加し、敢行しよう~と提唱されています。

    そんなRIテーマと地区方針を受け止め、豊中夢の第九コンサートも45周年記念式典も、本年度の方針に基づき、計画し、準備し、実施に至るプロセスを歩んでいます。

    今回の事業を通じてロータリーを実践しましょう。

    大阪音楽大学のフルオーケストラと市民合唱団が演じる「豊中夢の第九コンサート」で感動の体験をいたしましょう。

    参加いただいたみんなと豊かな人生観を味わいましょう。

    そして何よりParticipate!! 参加し、敢行しましょう

    力を合わせて頑張りましょう。

     

     

     

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