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    8月23日 第2382例会 | 8月9日 第2381例会 | 8月2日 第2380例会 | 7月26日 第2379例会 | 7月19日 第2378例会 | 7月12日 第2377例会 | 7月5日 第2376例会 | 6月28日 第2375例会 | 6月23日 第2374例会 | 6月14日 第2373例会 |

    8月23日 第2382例会

    履歴書No.4

    高校は中学とは一変して、全く自由で、のびのびして叱られることもなく、全て自己責任で処理され。逆に面食らった。高校生立ち入り禁止の街中を数人で探索したが、全くの放任ではなく、絶えずチェックされていたようだ。補導されることはなかった。当時、ロケット遊びがはやっていて、友人と2人で、綿火薬を合成して、アルミの鉛筆キャップに綿火薬を詰めて、校庭で火をつけてどれが高く飛ぶか実験していたところ、化学の先生に見つかり、実験したいなら、先生の教室に入れと言われ、化学クラブに入ったことで、大学の進路が決まった。担任教師から畝尾君は知能指数の数値からすると、成績はもっと良いはずと言われたが、猛烈に勉強した記憶はない。戦後しばらくの間は、燃料に山の松をマキにして使っていた。度々、夜中に山に木を盗みに来る人が多く、父に連れられて、泥棒追い出しと、あくる日は伐採された木の整理を手伝いさせられた。隣との山の境界線は境界石であったが豪雨のあとは石が移動し、隣の地主と境界について口論している姿を見て、長男として財産を守らねばならないことに 苦痛を感じていた。

    当時、大学、就職は東京、大阪の大都市に行く人が多く私も縁があって大阪に出てきた。

     

     

    8月9日 第2381例会

    私の履歴No.3

    中学校時代はあまり勉強した記憶がない。

    喧嘩は良くしたが、イジメはなかった。軍隊帰りの怖い先生の時間、クラスで誰かに粗相があると、級長前に出ろと呼び出され、教室の前から後ろまで顔を往復びんたでぶたれ、ほほの内側が切れて家に帰ると、食事がしみて痛いが、常にお前が悪いで片づけられた。一方で新制大学をでた先生の家によく遊びに行き、先生からウイスキーを飲まされ、初めての経験で身体が瞬間宙に浮かんだ感覚は今でも思い出される。先生からは、これがアルコールだ、ここでしか飲んではいけないと固く注意された。私は幼少の時から、体が弱くよく医者のお世話になったが、この子は二十歳まで生きられないだろうと言われていた。どうせ俺の命は20歳までなら思い切り何でもやろう。という気持ちで行動した。高校受験の時、当時は区域制が敷かれていて高校は決まっていたが、担任から区域外であるが、県下では優秀とされていた高校に推薦され、受験条件のためその校区内に私の住民表を移すべく寄留して受験、呉三津田高校(旧呉一中)に入学した。子供心に自分の進む道は多くの人のご縁、導きで決まると感じた。

     

     

    8月2日 第2380例会

    今月は会員増強月間です。入江会員増強委員長によるフォーラムが計画されています。クラブ存続は言うまでもなく会員増強が基本です。今年度はクラブ創設50周年です。新入会員5人を目標に活動したいと思います。最近の傾向として、皆さん周知のとおり、各団体、協会の会員数が減少し、存続が難しくなってきました。会員退会の理由を聞くと、費用対効果を第一に挙げられます。

    私たちもロータリーの意義、本質を十分勉強し、ロータリアンとして誇りを持って勧誘する必要があります。豊中南ロータリーの特徴を作り出す必要があります。10年前我がクラブがスポンサーとなり国際親善奨学生として佐々木葉月君をサンフランシスコ、モントレー国際大学院に派遣しましたが、彼を受け入れてくれたモントレークラブを視察する機会がありました。新設の若いメンバーの多いクラブでしたが、クラブの会費、例会のやり方が日本の我々の常識と異なり参考になりました。(詳細は2010年11.25日の卓話参照)

    本日のフォーラムでは皆さんの会員増強に対する意見を述べてもらい、クラブの会員増強、運営に生かしたいと思います。

     

     

    7月26日 第2379例会

    本日は夜の例会として、例会場を大阪国際空港4階、Pepper Millに移して美味しいイタリアン料理を食べながら友好の絆を広げてください。私とPepperMillとの出会いは、10数年前私が豊中商工会議所会頭を拝命し、空港活性化協議会(伊丹、池田、豊中、各商工会議所会頭が持ち回りで会長)で頻繁に空港に足を運んでいたときからのご縁です。

    当時、豊中淺利市長も大阪空港と路線のある空港を持つ都市と、空港を生かしたまちづくりを掲げて、都市間交流を積極的に行い、私も市長に同伴して各都市の市役所、商工会議所を訪問し両市の活性化に務めた。

    豊中には大阪音楽大学があり、大阪空港もお店だけでなく、音楽の聴ける場所が欲しいと、私から何度も空港関係者にお願し空港一階ロビーに演奏舞台を作っていただき、現在も洋楽、邦楽、問わず各ジャンルに利用されている。

    私はPepper Millオーナシェフの人柄、芸術的な料理の味に魅せられて、このお店に足を運びました。またオーナと吉田会員は同級生で友達とのこと。

    今日は我々のためにお店を貸し切りにしていただき感謝です。猛暑が続きますが今日はきっと満足し鋭気を養えることでしょう。大いに楽しみましょう。

     

     

    7月19日 第2378例会

    中学校は呉の海軍兵舎あとの木造で、教室の中に柱が2,3本あり前の黒板が見づらかった。学校は瀬戸内海に面した場所で、町から一山越した山間地帯であった。気候の良い時期は、山越えで通学したが、そのまま山学校で楽しんだ。中学校からは給食はなく、弁当を持参しなければならず、当時は十分な食料もなく麦飯に梅干し、おかずは昨晩の残り物少々がよい方であった。一クラスは60人前後であったが、昼食時になると必ず5,6名がいなくなるのに気づき、担当の先生に聞いたところ、彼らは、お父さんが戦争で亡くなった人が多く、弁当を持ってこれないので、先生がコッペパンを買い与えいつも校庭のバクネット裏で食べていると知り、クラス皆に呼びかけてみんなの弁当を出して分けて食べるようにした。麦飯はあるが、おかずが不足するので、数人でグループを編成し、食事前の1時間を魚釣りの時間にし、魚(雑魚)を釣って弁当のおかずにした。

    学校の場所は瀬戸内海の浜辺に位置していて絶好の釣り場であった。授業をさぼっているが先生から一切叱られなかったし、用務員が鍋に油を仕掛けて待ってくれていて、釣りたての魚をから揚げにして,皆で美味しく食べた思い出がある。

    先生も2パターンあり、新制大学出の男女席を同じくせよタイプ、軍隊上がりの男女席を交えづ タイプ、先生ごとに席を移動し大いに困惑した。

    喧嘩は良くしたが、イジメはなかった。

    野球がはやり始めていたが、当時はボールもバットもグローブもなく、ボールは大きな松の実(松ぼっくり)、バットは板の切れ端、で野球を楽しんだ。物が無いから出来ないのではなく、工夫をする、知恵を出すことを自然に教わった気がする。広島は原爆投下で焼け野原となり、復興のシンボルとして、市民でプロ野球を作る運動がスタートし、資金集めに各駅に酒の空樽がおかれ、当時の小遣い銭5円玉を寄付した記憶がある。したがって広島カープは我々市民の寄付で出来た市民球団である。生涯私はカープファンである。

     

     

    7月12日 第2377例会

    この度の西日本豪雨災害でお亡くなりになった皆さんお悔やみ申し上げます。被災された皆さんの一日も早い復旧を祈念いたします。

    “三つ子の魂100まで”と言われます。幼少時の経験が人生の生き方に大きく影響していることが、この年になって良く分かりました。

    私は、昭和17年、広島県呉市吉浦町で4人兄弟の長男とし生まれた。半農半工、戦時中は空襲警報が鳴るたびに家の横の防空壕に避難した。3歳の夏に終戦を迎え戦後の物の無い生活が始まる。小学校の給食はアメリカ進駐軍から支給のスキムミルクと塩パン1個。リヤカーで町に1軒しかないパン屋に給食パンを引き取りに行った。学校から帰るとカバンを投げて、畑に行き母の畑仕事を手伝う。サツマイモの収穫時期は友達が大勢集まり焼き芋を食べた。柿のなる時期は、数人で柿泥棒をしたが、持ち主の親父さんも見て見ぬふりをしてくれた。夕食時、停電も多くロウソクの下で食事したが、頭数が多いときは隣の子供が紛れて食べていた。

    食糧難の時代、皆で助け合って生活し、今問題になっている、“いじめ”は全くなかった。助け合いの心に満ちていた。

    食糧は家族人数分の配給で通帳を持って配給所に並んだ。不足する食糧は、ヤミ米として農家に買い出しに行った。汽車で買い出しに行くと駅には警察官がいて持ち物チェックし没収されるため、駅近くの鉄橋から川に投げ込み後で回収に行った。また母の里にリヤカーを引いて夜を徹してもらいに行った。家にあったミカンを収穫して八百屋に持ち込み、代金は鉛筆とノートに化けた。進駐軍兵士に「ギブミーチューインガム、ギブミーチョコレート」と物乞い、私の最初の実用英語。石油燃料のバスが初めて走ったとき、後を追いかけて排ガスを深呼吸した。

     

     

    7月5日 第2376例会

    2018~2019の会長を務めさせて頂くことになりました。会長方針の実行を会員の皆さんの協力で成し遂げたいと思います。

    特に今期はクラブ創立50周年で記念行事を立派に成功させたいと思います。

    私が豊中南ロータリーに入会したのは、㈱西口興産の西口 信明氏、㈱高尾鉄工所 高尾 正敏氏の紹介で1994年でした。

    当時は例会出席100%を先輩諸氏から指導され、必死でメークアップした。

    私のこれまでの人生を振り返ってみたとき、全て御縁で今がある。以後、会長の時間のお話は私のこれまでの人生記憶をたどり、シリーズでお話しをさせてください。

    〝人は、遺伝子と環境によって作られる。〟

     

     

    6月28日 第2375例会

    いよいよ本日が最終例会となりました。あっという間に1年が過ぎました。後ほど卓話の時間に「1年を振り返って」お話しいたします。ニコニコクイズやオークションなど予定が詰まっていますのでこれで終わります。一年間どうもありがとうございました。

     

     

    6月23日 第2374例会

    クラブアッセンブリも無事終了し、これから新旧の引き継ぎと懇親会を行います。例会も残すところあと1回になりました。本年度の感想は最終例会に譲りますが、来年度は50周年事業というビッグイベントが控えています。國貞新会長を押し立てて、全会員で盛り上げていきましょう、私も微力ながら全力を尽くします。よろしくお願いします。

     

     

    6月14日 第2373例会

    本日はこれまで数回にわたって話してきました「インバウンドの大阪・関西への影響」についてのまとめです。

    6月に発表された30年版観光白書にはインバウンド増加の経済的効果について以下の3点にまとめています。

    ①インバウンドの効果は、旅行消費のみならず日本経済に幅広いインパクトを与えている

    ②宿泊業にとどまらず幅広い業種、地域でさらなる投資が期待される

    ③観光が日本経済を牽引する「稼ぎ手」に成長しつつある

     

    特に大阪・関西へのインパクトが強いことは、前にもお話しいたしました。資料の一部を再録しておきますのでご参照ください。

    大事なのは私たちにとってこのインバウンドが増加していることの意義をどう捉えるかということです。経済的に考えれば、大阪・関西経済の復権の突破口になり得る可能性があることは多くの人が認識しています。私はそれに加えて異文化交流、国際交流がすすむことに意義があると思うのです。外国の旅行者に大阪のみならず日本と日本人を理解してもらう取っ掛かりになればと考えます。一時期ヘイトスピーチが巷に溢れる状況がありましたが、実際に外国の方々とふれあうことや交流するチャンスが増えればそれだけでもよい効果が生まれるのではないかと考えます。

    さらにロータリーにとってもおもしろい取り組みができるかもしれません。インバウンドの中にはロータリアンもきっといらっしゃることでしょう。その人たちに、2660地区でメイキャップしよう!という呼びかけをして、キャンペーンを張り、関空あたりにロータリーでウエルカムボードでも掲げたら面白いことができるかもしれません。各クラブに気軽にお客様として参加してもらうことがあたりまえのようになってくればより日常的に国際交流、国際的な親睦ができるのではないかと思っています。

     

     

     

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