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会長の時間 長谷川会長
最近地震のニュースをよく聞く気がするのですが、5月に入って震度4以上の地震が25回発生しております。特に大きかったのは、5月5日午後2時46分、石川県能登地方の震度6強、その日の午後10時02分にも震度5強の地震が続いて発生しております。
そして次の日6日午前2時51分青森県東方沖で震度4、 9日午前5時19分にはまた石川県能登地方で震度4、 翌10日午前7時19分能登半島沖震度4、そして、11日には午前4時20分千葉県南部震度5強、午後12時14分トカラ列島近海震度4、 午後6時54分には日高地方東部震度4と立て続けて発生しております。
震度4というのは、ほとんどの人が驚く。電灯などの吊り下げ物は大きく揺れ、座りの悪い置物が倒れることがあると定義されております。
震度3以下の地震は1日で10回以上発生している日も多くあります。
1995年に私たちは阪神淡路大震災を経験し、2011年には東日本大震災の津波の被害をニュース映像で目撃し、2016年に熊本地震、2018年には大阪北部地震で震度6弱の影響を受けました。
それなのにいつの間にか地震への対策を忘れてしまっているような気がします。ここでもう一度地震対策を見直しましょう。一番必要なのは一人当たり1日3ℓ×3日分の水、そして調理の必要ないレトルトご飯や缶詰、お菓子などの食料品です。その他、衛生用品、医薬品、貴重品、照明器具や防災ラジオなどの情報ツール等々、とにかく72時間、自力で生き抜ける準備をしておきましょう。
掲載日:2023年6月14日 | 目次:会長の時間に戻る
会長の時間 長谷川会長
本日は久しぶりの通常例会で、卓話・フォーラムのゲストスピーカーとして豊中市社会福祉協議会の勝部麗子さんをお迎えしての例会です。
勝部さんといえば今や豊中市を代表するような有名人で、西口さんのお米を子供食堂にお送りした際にも、いろいろとお世話になったのですが、その次の日の産経新聞の朝刊1面に勝部さんの記事が載っていて、最終面1面を勝部さんと豊中市社会福祉協議会の記事で埋められていました。
勝部さんは1987年に豊中市社会福祉協議会に入職。2004年に地域福祉計画を市と共同で作成、全国で第一号のコミニュティソーシャルワーカーになり、地域住民の力を集めながら数々の先進的な取り組みに挑戦。その活動は府や国の地域福祉のモデルとして拡大展開されております。2014年には勝部さんをモデルにした主演深田恭子さんのNHKドラマ
「サイレント・プア」が放送され、全国的に知られるようになりました。著書に「ひとりぼっちをつくらないーコミュニティソーシャルワーカーの仕事」があり、現在は豊中市社会福祉協議会事務局長として活躍されています。
私も、1995年の阪神淡路大震災時に社会福祉協議会の災害ボランティアゼンターに豊中青年会議所のメンバーとしてボランティア活動に参加し、その時、勝部さんと知り合い、その後もたまにいろいろな場面で出会っていました。2011年の東日本大震災の際も、勝部さんは様々なボランティア活動を支援されていましたので、その頃も豊中南ロータリーの卓話に来ていただいたこともあります。
本日は貴重なお話を聞かせていただくのを楽しみにしております。
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会長の時間 長谷川会長
通常の昼の例会は4月6日以来で、久しぶりの例会という印象ですが、4月13日(木)~15日(土)は台北士林47周年に3年ぶりに参加してきました。
13日午後2時に関西空港を出発し、午後4時くらいに台湾桃園空港に到着し、台北士林RCメンバーの出迎えを受け、式典会場・宿泊ホテルであるリージェント台北で前夜祭が開催されました。
3年ぶりにあう韓国梁山RCと北上西RCのメンバーとの合同カラオケ大会などで盛り上がりました。
14日午前中は盆栽のミュージアムのような庭園のような、よくわからない施設で見学と昼食をいただき、午後4時くらいからホテルで姉妹クラブ協議会が開催され、梁山、台北士林、豊中南の姉妹締結更新調印式がおこなわれ、午後6時より47周年式典が盛大に開催されました。
3年ぶりでしたが、いつも通りの派手な演出の式典でした。そして15日台北士林メンバーに見送られる中、11月の日本での再会を誓い、ホテルを出発し日本へ無事帰ってまいりました。
次の週の20日(木)はこれも3年ぶりの「今こそ世界の家庭料理を食べる会」が開催され、グァテマラ、ハンガリー、ネパール、ベトナム等の豊中在留の各国の外国人留学生との交流が出来、やはり大阪大学大学院の博士課程の人が多く、日本の企業への就職活動中という人もいて、こういった優秀な人が日本で働いて頂くことが日本の発展にもつながるのだと思い、楽しい時間を過ごしました。
そして先週の4日(木)はゴールデンウィークの祝日で、いつのまにか1か月以上たってしまいました。あっと言う間の1か月間でした。
掲載日:2023年5月12日 | 目次:会長の時間に戻る
会長の時間 長谷川会長
4月13日(木)~15日(土)3年ぶりに台北士林ロータリークラブ47周年に参加してまいりました。いつも通りの大歓迎、大宴会で楽しい3日間でした。
記念誌に載せた私の祝辞を紹介します。
『親愛なる台北士林ロータリークラブ江碩勲会長並びに会員の皆様、ご家族の皆様、クラブ授證47周年誠におめでとうございます。
台北士林ロータリークラブとは1977年の姉妹クラブ締結以来、毎年相互交流、親善を積み重ね素晴らしい友情を育んでまいりました。
ところがここ3年間コロナ禍の影響で、交流が途絶え、メンバー一同大変悲しい思いでいっぱでした。今日こうして再び皆様とお会いできたこと、大変嬉しく思っております。
私は2回目の会長職に就いていますが、前回の2010年~11年度の3月11日に東日本大災が発生し、その時に台北士林ロータリークラブからの多大な援助は12年たっても感謝の気持ちは忘れたことはありません。
台湾の民主主義が脅かされている現在、私たちもわが身のような不安を抱えております。しかし、いかなる事態も私たちの友情の絆は断ち切られることは無いと信じております。
最愛の友である貴クラブとの交流によって
「国際理解・国際親善・国際平和」をより深める国際奉仕の理念を実践していけると確信しております。
今後とも貴クラブとの友好が深まることを会員一同願っております。
結びに、台北士林ロータリークラブの益々のご発展と会員の皆様、ご家族の皆様のご健勝ご多幸を心よりお祈り申し上げ、お祝いの言葉とさせて頂きます。』
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会長の時間 長谷川会長
本日は1月の年初例会から久しぶりの夕刻例会です。会員同士の親睦を深め、楽しい時間を過ごしていただきたいと思いますが、もうすぐWBCの準々決勝日本対イタリア戦が始まります。こちらの方も気になるところではありますが、今日はイタリア料理屋さんということでみんなでイタリア料理を食い尽くし、イタリアワインを飲み干して応援いたしましょう。
そしてその夜日本は9対3でイタリアを下し、侍ジャパンは準決勝が行われるアメリカへと向かいました。
3月21日祝日、朝8時より日本対メキシコの準決勝が始まりましたが、私は豊中千里RC
と豊中南との合同親睦ゴルフコンペに参加していましたのでテレビを見ることができず、気になっていたのですが、昼の食事時間にクラブハウスのテレビを見ますと8回の裏の日本の攻撃で4対5の1点ビハインドの状況でした。これはやばいなと思ったのですが、時間も限られているので、テレビの前を離れ、食事をしていました。するとしばらくして、テレビを見ていた数人の人から歓声と拍手が起こり、日本が逆転勝ちをしたのを確信いたしました。9回裏1・2塁で村上選手が逆転サヨナラタイムリーヒットという劇的な勝利でした。多分日本中に歓声が上がっていたと思います。
家に帰ってから何度もこのシーンをニュースで見ましたが、私が驚いたのは村上が打った球がフェンスに当たったのを確認した2塁ランナーの大谷が走り出し、1塁ランナーの代走周東がその後に走っておりましたが、ホームベース前では大谷のすぐ後ろに周東がいました。なんて足が速いんだと感心しました。
そして翌日22日アメリカとの決勝戦、日本の投手陣が小刻みな継投で強力メリカ打線
を2失点に抑え、9回表大谷がリリーフ登板、2アウトとなりバッターはエンゼルスの同僚の大リーガー屈指のスラッガー、マイク・トラウト。見事空振り3振に抑え、劇的な優勝とまるで漫画か映画のようなシーンで幕が下りました。
普段野球には興味はないのですが、この2週間はWBCに楽しませていただきました。
ありがとう侍ジャパン。
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会長の時間 長谷川会長
本日は神寶ガバナー補佐と武枝ガバナー補佐エレクトをお迎えしての例会です。
後ほどのクラブアッセンブリーもよろしくお願いします。
先週は地区よりのトルコ大震災の義援金や世界の料理を食べる会で交流のあるTIFAさんにおられるトルコ・シリアのご家族へ義援金の寄付ありがとうございました。
トルコ・シリア地震も一か月が過ぎ、概要が分かってきましたが、死者が5.1万人以上となり、トルコでは負傷者が10万人を超え、16万棟の建物が倒壊・損傷しています。
21世紀に発生した自然災害の中で、死者・行方不明者の数が多い順としては、スマトラ沖大地震22万6000人以上、ハイチ大地震22万2600人、ミャンマーのサイクロン13万8400人、中国・四川大地震8万7500人、パキスタン地震7万5000人の次に多い被災者数となっています。
東日本大震災の死者・行方不明者が1万8000人くらいだったので、この地震の規模がいかに大きかったのか想像がつきますが、被災地では「人災だ」という声が強まっているそうです。
皆さんもテレビを見て気づいたと思いますが、建物が積み木が崩れるように倒壊しておりました。柱などの強度が不足している建物が屋根から垂直に崩落する「パンケーキクラッシュ」が多数起きたとみられ、手抜き工事が常態化していた疑いが出てきているそうです。
現地の建築事情に詳しい人は「関係者が互いの利益の為建築基準をやぶってきた。地盤が軟弱なのに高すぎるビル建設を次々に認めた地元政府にも責任がある」と断じていたり、現地のジャーナリストは「建物完成後、所有者がスペースを広げるために柱を取り去ったり、家族が増えたため勝手に業者を呼んで増築した事例もあった。
規則違反を免れるため、役人に賄賂を払う業者もいたのでは」と人災の実態を解説したりする意見が出てきているようです。
いずれにしよ、被害にあった人たちをいかに支援していくかが問題となっております。
私たちが出来ることは小さな事ですが、少しでも役に立てばと思います。
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会長の時間 長谷川会長
私が1回目の会長を務めた2010年~2011年度の3月11日に東日本大震災が発生しました。
未曽有の災害の中、義援金を贈ることだけではなく、私達豊中南ロータリークラブも何か出来ることは無いかと思っていた時、台北士林RCの友好クラブである2520地区(岩手・宮城)北上西ロータリークラブの佐藤さんから、台北士林と北上西と豊中南でロータリー財団のマッチンググラントを利用した大船渡漁協へ軽トラック5台を寄付する事業を手伝ってくれないかと打診がありました。総額500万円の予算です。
出来ることは何でもしますと答え、早速ロータリー財団への申請書を作成し、6月には軽トラック5台が手配できた連絡が来ました
6月25日に軽トラック贈呈式のため、古澤元会員と岩手花巻空港に到着し、北上西RCの会員と合流し、翌26日北上市から大船渡漁港へと車で向かいました。
震災から3カ月半くらいしかたっていないので、太平洋側に進むにつれて、道路の左右に瓦礫の山が現れ、車が通れるようになっただけで、いたるところに震災の爪痕が残っており、車窓から見える景色は左側の平地の建物はほとんど残ってなく、右側の山の斜面には、はっきりと津波が到来した時の形が残っており、災害の恐ろしさを目の当たりにして呆然としました。
途中奇跡の1本松を見ながら、大船渡漁港に到着しましたが、港に大きな船が座礁したように半分陸に上がっているのを見て驚きました。
大船渡漁港事務所の2階で贈呈式典が行われ、2520地区のパストガパナーや陸前高田ロータリークラブの会長をはじめとする近隣のロータリークラブのメンバーも数人出席しておりました。参加者全員で海に向かって献花した後、北上西RC会長の挨拶があり、その後私の挨拶の後、大船渡漁協岩脇組合長は「震災から3カ月以上たっても国からも県からも、一円も義援金は届いていない、今日こうして台湾や大阪の人からもらった車は涙が出るほどうれしい」とおっしゃり、「私はロータリークラブというのは聞いたこともなかったが、私もロータリークラブに入会します」と宣
言されました。
その後本当に近隣のロータリークラブに入会さ
れたそうで、この話に感動した2520地区のパストガバナーの記事がロータリーの友に大きく掲載されました。
缶ビールと弁当のささやかな宴会の後、岩脇組合長と海を眺めている時、組合長は「すべて流されてしまったんだよ」とつぶやかれました。
その心の悲しみは私の胸に染み込みました。
その夜北上市のホテルに戻り、私達と北上西RCメンバーとの懇親会が開かれ、夜遅く迄お酒を酌み交わしました。
翌27日朝に岩手花巻空港に行き、売店で昨日の事業が掲載された地元新聞2紙を購入し、大阪へ戻りました。
そしてその年の秋、大船渡漁協より大量のさんまが事務局に届きました。もう漁が出来るようになったのだと思い、軽トラックが漁港を駆け巡る姿が目に浮かびました。
掲載日:2023年4月1日 | 目次:会長の時間に戻る
会長の時間 長谷川会長
2月15日(水)~18日(土)豊中南RC・コザRC合同研修・交流事業で沖縄に行ってまいりました。15日午後2時くらいに、私と和田幹事、中谷会員、喜多会員、小滝会員、加藤会員が伊丹空港から出発し午後5時くらいに那覇空港に到着いたしました。空港にはコザロータリークラブの島袋直前会長が迎えてくれました。
那覇国際通りから少し入った沖縄料理の居酒屋で食事をし、那覇のビジネスホテルで一泊し、翌16日レンタカーを借りて、那覇市から沖縄市へ移動、コザロータリークラブの例会場である沖縄グランメールリゾートへ到着し、遅れて来た山田会員と初波会員と合流し、計8名でコザロータリークラブの例会に出席しました。
この日の例会は私たちが参加するのでいつもの例会ではなく、卓話無しで、ニコニコをする際にメンバー自身が壇上に立って話をしてニコニコ箱にお金を入れるという趣向でした。
コザロータリークラブの花城会長の挨拶の後、私の挨拶があり、バナー交換をして、ニコニコの時間となり、コザロータリーのメンバーの後、豊中南のメンバーも全員話をさせて頂きました。
コザロータリーもメンバー数は26名ということで、豊中南と同じようにアットホームな雰囲気で、温かく迎えて頂きました。
例会終了後はコザロータリーが2004年に国際ロータリー100周年記念事業として大理石の動物像やロータリー広場を贈った、沖縄こどもの国に訪問いたしました。
見学している際に豊中市が昭和46年2月に沖縄市に友好と親善を記念して送った少年の像「合奏」を見つけ、豊中市と沖縄市の深い絆を感じました。
その後「せんべろ」と称した商店街の道端で机を並べた居酒屋で歓迎会が開催され、花城会長の旦那さんの沖縄県議会議員の花城大輔さんも参加して、夕暮れの沖縄を楽しみました。
その後2次会でコザロータリークラブの女性メンバーのスナックに行き、例会に欠席していたメンバーも合流し、大いに盛り上がりました。
その際次年度のガバナー補佐である前原さん(コザロータリークラブは第2580地区に所属し、東京に59クラブ、沖縄に11クラブあり、会員
2800名ほどの地区です。6つの分区に分かれており、沖縄分区はIM2組があり、2人のガバナー補佐がおられるそうです。)より明日ゴルフへ行こうと誘われ、私と小滝会員が参加することとなりました。
翌17日、中谷・喜多・加藤・初波会員が帰阪し、私と小滝会員はコザロータリークラブメンバー4人とゴルフで交流し、夜は和田幹事の友人の元沖縄JCの宮平さんと一緒に食事に行きましたが、宮平さんが沖縄市が豊中市役所第二庁舎にシーサーを送った際の実行委員会のメンバーだったと聞き、様々な人の縁で繋がっているんだなと感じました。
沖縄の多くの人と酒にまみれた3日間でした。
次の日、残り4名で大阪に帰り、私は軽いめまいを感じながら帰宅いたしました。
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会長の時間 長谷川会長
今月15日よりコザロータリークラブへ訪問いたしますが、豊中市と沖縄市の兄弟都市締結の歴史を紹介したいと思います。
豊中市と沖縄市の交流の始まりは、昭和39年(1964年)にコザ市(のちの沖縄市)から、豊中の沖縄戦の戦没者の遺族にと、霊石と仏桑華(ハイビスカス)が届けられたことです。
そのきっかけとなったのは、当時の豊中市竹内義治助役(故人・昭和41年から市長)が、沖縄道路事情視察団の一員として沖縄を訪問した際に、コザ市(のちの沖縄市)の大山朝常市長(故人)と懇談する機会があったことでした。
翌年の昭和40年から、コザ市職員の豊中市の様々な部局での研修が始まりました。当時アメリカ軍の統治下にあった沖縄では日本の行政事情が分かりにくかったのです。コザ市職員の間では「豊中学校」と呼ばれたこの研修に訪れた職員は、昭和50年代にかけてのべ100人あまり、なかには数か月にわたって滞在した職員もいました。
昭和47年(1972年)に沖縄が本土に復帰し、昭和49年(1974年)にコザ市と美里村が合併して「沖縄市」が誕生。同年11月3日、沖縄市誕生市民祭典の場で、「兄弟都市宣言」に調印しました。
兄弟都市宣言
「豊中市と沖縄市の友好は昭和39年沖縄市が第2次世界大戦の戦没者遺族のために、豊中市に霊石と仏桑華を送ったことにはじまる。
以来、両市は都市問題、教育文化の交流を重ね相互の理解と信頼を深めてきた。この歴史的背景のもとに、更に両市の友好と市民相互の交流を深め、市民福祉と平和を祈念してここに兄弟都市であることを宣言する。
昭和49年11月3日。豊中市長、下村輝雄、沖縄市長、町田宗徳」
姉妹都市ならぬ『兄弟都市』であるのは、沖縄の「いちゃりばちょーでぇ(出会えば皆、兄弟)」という言葉に由来していると言われています。
兄弟都市提携後もさまざまな市民交流や行政交流が行われてきました。
コザロータリークラブは1962年5月24日に結成され、一昨年60周年を迎えたクラブです。メンバーは30名くらいだと思います。児童園への支援や、沖縄国際カーニバルの参加、ポリオ撲滅募金活動、献血運動等活発に行動されているようです。福島県白河西ロータリークラブと姉妹クラブ締結をされています。
掲載日:2023年3月7日 | 目次:会長の時間に戻る
会長の時間 長谷川会長
昨日、職業奉仕セミナーがWEBで開催され、千房株式会社代表取締役会長の中井政嗣さんの
「~実践力~こんなことならだれでも出来る」という題の講演会が開催されました。
中井さんは1973年大阪ミナミ千日前にお好み焼き専門店「千房」を開店。大阪の味を独特の感性で国内は勿論、海外にも広めております。
現在、社会問題化している青少年の教育に対し、経験を踏まえた独特の持論が社会教育家として注目を集め、全国各地の教育委員会・PTA・経営者団体・企業での講演は多くの人々に感動を呼び起こしているそうです。
なんばロータリーのメンバーで4年前に入会し、その後コロナの影響であまり活動していないので、ロータリーの事はまだ良く分からないとの事でした。
私が印象に残った言葉は、組織とは
1、汗をかけますか。2、お金出せますか。3、知恵出せますか。4、人脈を出せますか。
この4つの項目の二つ以上できる人が組織に必要な人だとおっしゃっております。
ロータリーに例えると
1.汗をかけますかは、文字通り身体を使って目標に向かって進んでいく事であり、汗をかいて奉仕活動に邁進することです。
2.お金は出せますかは、ニコニコ箱や財団・米山に寄付することです。
3.知恵を出せますかは、知識では無く組織が活性化するためのアイデアを出すことです。
4.人脈を出せますかは、人脈は自分の為に使うのではなく、社会のために使うことが重要で、人にお世話になることは決して恥ずかしいことではなく、お世話になったことを感謝して礼をつくす事が必要なのだということです。
商売に学歴、地位、肩書は必要ない。読む、書く、聞く、見る、話す、勉強とは人の話を聞くことから始まります。
ロータリーの例会で人の卓話を聞く、自分の卓話で原稿を書き、話す。これらはすべて人生の勉強になる。とこのような事をおっしゃっていました。
地区のウェブサイトで録画配信がありますので、又皆さんご視聴下さい。
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