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    【世界平和フォーラム広島】 1月24日 第2124例会 | 【七福神と八仙人】 1月17日 第2123例会 | 【年 始】 1月10日 第2122例会 | 【家族】 12月22日 第2121例会 | 【皇帝の色】 12月13日 第2120例会 | 【女木島・男木島 】 12月 6日 第2119例会 | 【ロータリーソング 】 11月29日 第2118例会 | 【くすの木 】 11月22日 第2117例会 | 【万里の長城】 11月15日 第2116例会 | 【挨拶】 11月 6日 第2115例会 |

    【世界平和フォーラム広島】 1月24日 第2124例会

    皆さん、こんにちは!

     今年のロータリーのテーマは「奉仕を通じて平和を」です。平和が私たちの焦点、そして目標で、平和に向けた努力は、全ての人、家族、クラブ、地区、地域、そして国から始まると、田中RI会長は述べています。

     当クラブでは、このテーマを受け、昨年11月15日に、クラブとして初めての「平和フォーラム」を持ちました。平和について、人権活動家のお話を聞き、会員の皆様より見識の高いご意見を頂戴いたし、自画自賛ではありませんが、本当に意義あるクラブ・フォーラムであったと思います。

     国際ロータリーでは、本年度は3つの世界平和フォーラムを予定しております。第一回は既に終わりましたがベルリンでのテーマ「国境のない平和―民主主義の役割」。第二回は明日25日より開催のハワイ・ホノルルでの「平和に至る緑の道」をテーマとしたフォーラムです。

     そして三回目が、5月17-18日広島で開かれる「平和はあなたから始まる」をテーマとした世界フォーラムです。このフォーラムは世界平和フォーラムのシンガリで、日本で開催される世界フォーラムであります。

     17日の開会式では三人目の日本人RI会長の田中作次氏が挨拶され、基調報告として「国連はロータリーに何を期待しているか」があります。18日の全体フォーラムでは、「若い世代は平和のために何をすべきか」、「平和はあなたから始まる」をテーマに分野・世代の代表によるパネルディスカッションが予定されています。また、開会式の前には、プレフォーラム・ワークショップがあり、経済面、文化面、国家、個人、情報技術の5つの分野から見た「世界平和達成のための行動のあり方を考える」基調講演と参加者との討論がもたれます。

     この世界平和フォーラムは、世界平和のメッカ広島で開催され、日本人RI会長の地元日本で開かれ、次世代を巻き込んだ世界平和を考えるフォーラムで、大変意義が深く、しかも我々ロータリアンにとり又とない学習のチャンスでもあります。

     関係資料は先週BOXに入れさせて頂きましたが、是非、この5月、できるだけ多くの方が広島に出向いて頂ければと思っております。勿論、私も参加致します。受付に、参加申込ボードが置かれています。宜しくお願い申し上げ、私の「会長の時間」とさせて頂きます。ご清聴、有難うございました。

     

     

    【七福神と八仙人】 1月17日 第2123例会

    皆さん、こんにちは!

     去る9日、服部天神の豊中えびす祭に“福男”として参加してきました。地元有力会社、各種団体の代表十名ほどが陣羽織を着て福餅授けをしました。山本榮さんも福男で来られてました。陣羽織がよく似合い、生身のえべっさんの様でした。ロータリークラブで参加した福男はこれまで豊中南のみでしたが、今回、豊中RCの関谷会長が福娘ならぬ福男として初めて参加されました。前恵比寿の9日でしたが多くの老若男女で大変な賑わいでした。

     “恵比寿(天)”(えべっさん)は、古くは「大漁追福」の漁業の神、そして海運の神様で、時代と共に転じて「商売繁盛」や「五穀豊穣」の商業や農業の神にもなりました。“えべっさん”は通説によれば、伊耶那岐・伊耶那美の第一子、蛭子命で、生来、醜かったので海に流され摂津の国に流れ着き漂着神となったと言うことです。西宮神社が恵比寿さまをお祭りする神社の総本社とされているのも何だか納得できます。

    七福神は、“恵比寿(天)”以外には皆様もよくご存知の“大黒天”、“毘沙門天”、“弁財天”、“福禄寿”、“寿老人”、“布袋(尊)”がおられます。ところが、国籍と言いますか出身ですが、“えべっさん”が唯一の日本国籍で、他の6名は外国出身で、“大黒天”、“毘沙門天”、“弁財天”の3人がインド、“福禄寿”、“寿老人”、“布袋”の3人が中国とのことです。

    七福神に似た神様が、中国にもあります。「八仙人」という8人の仙人です。八仙人は道教の流れを汲んでいて、8人がそれぞれ異なる法器(神通力)を持っており、目出度い神様、邪気を守る神様などと、大衆より根強い信仰を集めています。中華料理店にも八仙人の絵などが日本でも掛けられているところもあります。

    ただ、日本の七福神と異なる点は、8人の仙人の出身と言いますか階層が老、若、男、女、冨、権力、貧乏、卑賤などを代表しており、社会の各階層、あらゆる生活状態の人々を包括しています。

    中国に「八仙過海、各顕其能」と言う諺があります。東海にあるという仙境の蓬莱山で竜華宴(仙人の宴)に参加するとして、八人の仙人が夫々の神通力を活かした方法で海を渡ると言う意味ですが、“各自がその本領を発揮、切磋琢磨する”という諺(上の句で表現)として定着しています。

    山東省の煙台地区に蓬莱という町があります。この地から八仙人が海へ渡ったと言われています。私が山東省の青島に駐在していた時に、八仙人が出発したと言われる処を訪れたことがあります。ここは断崖絶壁で、そこから海の蜃気楼がよく見られる場所です。私が行きました時には、蜃気楼は出ませんでしたが、如何にも、仙人が出立したごとき幻想を感じました。八仙人が目指した“蓬莱山”は日本だという説もあります。

    こうお話しているうちに、専門職に裏づけされた超我の奉仕がロータリアンであるなら、ロータリアンは正に七福神や八仙人のミニチュアではないかと何だか思えてきます。我々がこのような仲間を増やし、それぞれが本領を発揮して、社会に役立って行ければと思いまして、会長の時間とさせて頂きます。有難うございました

     

     

    【年 始】 1月10日 第2122例会

    皆さん、改めまして新年おめでとうございます!本年も宜しくお願い申し上げます。

     今年は巳年です。巳という字は、蛇が冬眠から覚め這い出す姿を現していると言われ、「起こる、始まる」などの意味があります。また蛇は脱皮することから「復活と再生」につながり、「神の使い」として古来、信仰の対象ともなって来ました。

     巳年最初の株価は昨年末に比べ、大幅に上がり、その後も3.11以来の高値が続いています。また、円相場も10円近い円安に転じています。

    これらが日本経済の「復興と成長」に融和し、力強い日本創生へ繋がることを願って止みません。

     さて、山の好きな私は、この正月に“干支の山”に登ってきました。南紀田辺より東に入ったところに「大蛇峰」という標高450mほどの山です。此処からは、裾野に見渡す限りの梅林、中ほど遠くに田辺・白浜に続くみかん山と村里、更にその先には太平洋が遠望でき、自然と人が調和した素晴らしい景色を堪能させてくれました。

     ここは、また田辺石神梅林として有名な梅どころ、「一目30万本」という広大な梅林が広がっています。石神梅林の中心は、かつて平家の落人村であった「石神邑」です。昭和の初期にこの村

    の村長が、世界恐慌の煽りで生糸相場の暴落したことを受け、これからは梅を育て村の発展を期そうとて、梅林育成が本格化し、時代の流れにも乗り、今の隆盛に至ったとのことです。時宜を得た村おこしの典型と思います。

     2月1日より3月3日まで、開園50周年を記念して、「観梅イベント」が開催されます。「一目30万本」の咲き乱れ、平家落人邑の佇まい、大蛇峰展望台よりの絶景は素晴らしいと思います(案内パンフがありますので、ご興味のある方は ご連絡ください)

     本日は年始例会です。この後、森田親睦・例会委員長がまたまた面白いことを企まれてるようですので、会長の時間はこれまでとします。有難うございました。

     

     

    【家族】 12月22日 第2121例会

    皆さん、今晩は!

    今日で本年最後の例会となりました。会長就任後、半年が過ぎようとしております。この間、皆様より賜わりました数々のご支援・ご協力、叱咤激励に改めて感謝申し上げます。

    今月はロータリーの家族月間です。家族に支えられているのが如何に大切なことかを再認識する月間であります。私はお一人様で、同居の家族はおりません。秦住職の色即是空の卓話にもありましたが、私には“色”なる家内は逝っても、“空”なる“山の神”が支えてくれていると思い、ロータリアンを続けています。

    今日は、これから“年忘れ家族会”があります。今回、企画され実行いただく森田委員長、森本副委員長はじめ親睦・例会委員会の皆様に感謝申し上げます。今回はこれまでと異なる面白い企画を考えておられる様で楽しみにしております。どうぞ家族共々お楽しみいただくと共に、家族を含めての相互交流も図って頂き、豊中南RCという大きなファミリーの絆が深まることを祈念しまして、会長の時間とさせて頂きます。有難うございました。

     

     

    【皇帝の色】 12月13日 第2120例会

    皆さん、こんにちは!

    先週、秦幹事の卓話「色、いろいろなお話」の中で、私に難しい宿題をいただきました。回答が年を越えてはまずいと思い、今日の会長の時間に充てることに致しました。

     私は商社時代、北京に延べ8年ほど滞在し日本からのお客様を「故宮」など名所旧跡に何度となく案内させて頂きました。

    いま北京にある「故宮」は正式には「故宮博物院」といい、明・清王朝の歴代皇帝の宮殿です。東西753m、南北961m、敷地は72万㎡で、高さ10mの城壁に囲まれ、その外に幅52mの堀がめぐらされた広大な史跡です。

    「故宮」は別名「紫禁城」といいます。北の半天に3つの星座(三垣)があり、北極星を囲む星座の名前が「紫微垣」といいます。ここは絶対的天の中心で、動かざる支配を表すことから、皇帝の宮殿を、この「紫微垣」の「紫」の文字が充てられた訳です。そして「紫禁城」の「禁城」とは、一般庶民が立ち入ることが出来ない「禁地」であることから名づけられたということです。

     天上で動かぬ中心が「紫微垣」即ち「紫」に対し、地上で動かぬ中心は「皇帝」と中国では天上(神)と地上(人)夫々の最高権威を示しています。

    「故宮」には大小様々な建物がありますが、前朝と後寝に分かれていて、前朝には「太和殿」「保和殿」など皇帝が国事・政事を行うエリア、後寝には「乾清宮」「坤寧宮」など皇帝・后妃らの居住区となっています。殿と宮が合わさって「宮殿」となります。

    皇帝というのは、秦の始皇帝が最初として、清朝のラストエンペラー愛新覚羅溥儀まで2000年に亘り中華文明の統一政権をとった最高権力者の称号です。中国の神話には、権力者として三皇五帝(諸説あり)がありますが、秦の王“政”が中原を統一したことから、「三皇」よりも「五帝」よりも自分が上であるとして「皇帝」と名乗り、「始皇帝」となった訳です。

    皇帝の色がなぜ黄色なのかは、秦会員の卓話の通りですが、中華文明の発祥の地は「黄土」、中華民族の母なる川は「黄河」、肌色は「黄色」であり、「黄金」にも通じることから、それらの代表者である皇帝の色とみる説もあります。また「皇」の発音(huáng)が「黄」と全く同じでもあることからもそうなったとの見方もあります。

    これで会長の時間とさせて頂きます。有難うございます。

     

     

    【女木島・男木島 】 12月 6日 第2119例会

    皆さん、こんにちは!

    私は山登り・街道歩きが好きですが、最近は離れ小島にも関心を持つようになりました。先日、瀬戸内海の小島、女木島・男木島を訪れました。

    女木島は、高松港からフェリーで僅か20分、俗に「鬼が島」と呼ばれている島です。「鬼が島」とされる由縁は、香川県の桃太郎伝説にあります。昭和6年に山頂近くに大きな洞窟が発見されたことによって、桃太郎伝説と女木島が結びつき、以来、女木島は「鬼が島」とも呼ばれるようになったということです。高さ200m弱の山頂の直下にあるという大洞窟に行ってみました。奥行き450m、総面積4000㎡もあり、186㎡もある大広間、鬼のお頭の居間、かっさらった婦女子を監禁する部屋、番人の部屋などがあり、いかにも鬼(海賊)達の住処であったことが見て取れました。

    南北2.7km東西1.5kmの小さな島ですが、地理的には、本州との南北交通、瀬戸内の東西海運の要路にあたり、海賊一味の基地となっていたのでしょう。この島は、高松と目と鼻の先ですが、ご多分に漏れず過疎化・少子高齢化が進み、人口は僅か170人(往時の数分の一)、平均年齢80歳を越えています。

    男木島は、その女木島の北にフェリーで更に20分のところにあり、面積は女木島の半分、人口160人のこれまた鄙びた小島です。私が訪れたかったのは、島の北端にある灯台でした。私のカラオケでの数少ない持ち歌に「喜びも悲しみも幾年月」があります。その映画(佐田敬二、高峰秀子、中村賀津雄)の最後の方に出てくるのが、この灯台です。今は無人で自動運転をしていますが、「日本の灯台50選」のひとつで、明治28年12月10日点灯以来、備讃瀬戸を照らし続けています。この島は、昭和30年頃には、「瀬戸の花嫁」に出てくる「段々畑」の島でしたが、今では耕す人もほとんどなく、自然への回帰が進んでいます。

    二つの島を巡って私は島の未来といいますか、地域の活性化の動きがあることを知りました。島を巡ってみて、あちこちに古民家や空き地を利用した様々なアートが展示されていました。聞いてみますと、これらの作品は2010年瀬戸内国際芸術祭で出品したものでした。2010年にトリエンナーレ形式(3年に一度)で初めて開催され、展示された島は女木島・男木島を含め周辺7つの島々で、7月より108日の期間中、延べ93万人が島々を訪れたということです。これが契機となり、出品された島々への訪問者が増え、島の活性化に繋がっているとのことでした。

    次回は来年2013年の春、夏、秋で合計108日が予定され、島の数も更に5島増え、香川県の瀬戸内全域に広がり大々的に開催されるとのことです。この展示会のコンセプトは「海の復権」で、美しい自然と人間が交錯し交響してきた瀬戸内の島々に活力を取り戻し、瀬戸内海が「希望の海」となることを目指したものです。詳しくはお手元の資料をご覧下されば幸いです。これで会長の時間を終わります。有難うございます。

     

     

    【ロータリーソング 】 11月29日 第2118例会

    皆さん、こんにちは!

    例会では毎回、点鐘の後、みんなで歌を歌いますね。私は、入会して暫くの間、大の大人が一斉に歌うことに異な感じを受けましたが、だんだんと慣らされ、今日に至っております。

    ロータリーソングを歌うようになった謂れ・歴史と経過等を改めて調べてみました。

    ポール・ハリス等4名によりシカゴに最初のロータリークラブが誕生したのが

    1905年2月23日です。同年の秋の夜、例会に一時的な静寂が訪れ会話のざわめきが突然止んだ時、5番目に入会したハリー・ラグルスという人が「おい、みんなで歌おう」と音頭をとって当時流行っていた歌を何曲か歌ったのが、始まりです。

    その後、シカゴRCは誕生後2年目には、些細な意見の違いが大きくなり、クラブ内が割れ出席率も低下するという事態が起きました。当時クラブ幹事をしていたウィルR・ネッフ医師がハリーに「君が毎週立ち上がって楽しく歌うことにしたらどうか」と云いました。その結果、ハリーの指揮する歌声が、毎回クラブの例会で響くようになり、いつの間にかクラブ内の雰囲気は改善され、シカゴRCは解散の危機を脱したそうです。歌が人々の心を結んだのです。そしてその後誕生したRCにも皆で歌う習慣が伝わって行ったということです。1910年にはハリーはロータリーソングブックの出版もしています。

    では、日本ではロータリーソングはいつごろ歌われ始められたのでしょうか。日本で最初のRCは1920年設立の東京RCです。当初はロータリーソングとして英語のまま歌っていたそうですが、「児戯に類する・・・」とて皆あまり乗り気でなかったようでしたが、米人会員E.D.バートンの努力で1926年頃より定着しだしたということです。日本でのRCは東京に続いて内地では大阪、神戸、名古屋、京都、横浜、広島、外地では京城、大連、奉天、ハルピン、台北が誕生し、1930年にはRCは11となりました。

    やがて、日本語によるロータリーソングを求める声が高まり、1935年、京都での地区大会で、募集した新作の「日本語によるロータリーソング」が発表されました。「奉仕の理想」、「我らの生業」などです。その後、1951年に「手に手をつないで」、1953年に「それでこそロータリー」、1973年に「日も風も星も」、「四つのテスト」(もともと和訳されていたのに曲をつけたものとされている)等が作られました。

    日本語のロータリーソングは、何れもロータリー理念を上手く謳いあげています。歌うことによりご利益があるものと思いますので、これからも大きな声でみんなで歌っていきましょう。

    これで会長の時間とさせて頂きます。有難うございました。

     

     

    【くすの木 】 11月22日 第2117例会

    皆さん、こんにちは!

    我が家の庭に大きなクスノキが一本あります。高さ25m、幹周り4m、樹齢は350年位で、豊中市より保護樹に指定され、年間1万円の養生費を戴いております。豊中にはクスノキが多くあり、原田神社の境内など鎮守の森などによく見られます。

    クスノキは漢字では楠木と書きます。字の通“南の木”でベトナム、中国南部がルーツで、史前帰化植物として日本に伝わったと言われています。くすの木は、漢字でまた樟木とも書きます。これはクスノキには樟脳(防虫剤、医薬品、カンフル剤)が取れることからということのようです。虫がつかぬことから、昔は船や家具そして仏像(飛鳥時代)などに利用されていたようです。

    クスノキは日本では、本州中北部より北には殆ど見られず、九州が圧倒的に多く全体の80%を占め、四国が12%、本州西部が8%となっています。クスノキを県の木としているところは、鹿児島県、熊本県、佐賀県それに本州ではお隣の兵庫県の4県です。大阪府の木は、銀杏ですが、府内でクスノキを「市の木」としているのは意外と多く、池田、吹田、摂津、河内長野市など12市に上っています。楠木正重に関連している面もあるかも知れません。豊中市の「市の木」と調べてみましたが、クスノキではなく、金木犀です。

    クスノキは杉、銀杏、梛木などと共にかなりの大木になり、日本では神社などの神木とされていることが多いようです。お手元にお配りしました大山祇神社と書いたメモをご覧になって下さい。大山祇神社は広島と愛媛の間のしまなみ街道の「大三島」にある神社で、此処に日本で最も長寿のクスノキがあります。幹周り11m、樹齢は約2600年といわれています。私は二度ばかり訪れたことがありますが、お釈迦様の居られた時代から脈々と生き続けてきた姿に圧倒され、神々しさを覚え、パワーを頂きました。日本には、特別天然記念物とされるクスノキは、この木以外には福岡県の立花山、徳島の加茂、鹿児島県の蒲生などにもありますが、何れも樹齢1000年‐1500年程度ですので、この大木は飛びぬけた存在と思います。

    我が家のクスノキが650年後に天然記念物になることを夢見まして、クスノキの話をさせて頂きました。ご清聴有難うございました。

     

     

    【万里の長城】 11月15日 第2116例会

    皆さん、こんにちは!

    本日は、このあと、平和フォーラムがあります。ゲストスピーカーとして高野アヤ子様がお越しになられています。高野様は豊中市人権教育推進員協議会の副会長であり、また宇田会員や私と同じく人権擁護委員をされておられます。この後、人権に関わるお話を戴くことになっております。高野先生、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

    先週、日本人旅行者が中国の河北省山間部にある「万里の長城」近くで遭難し、パーティー4名中3名が死亡するという事故がありました。報道によりますと:この場所は、北京郊外の観光地として整備された八達嶺「万里の長城」より更に20km西の地点で、普段は観光客が行かない「万里の長城」(世界遺産ではある)です。7日間で100kmの長城を踏破する秘境ツアーで、事前の下見もなく、全て現地ガイド任せで、装備も充分でなく、予想外の突然の寒波・降雪により遭難したものです。参加者は何れも中高年で、登山のベテランでした。私も中高年で山行きはそこそこ嗜んでおりますが、山行きは、安全が第一で、特にリーダーの適切な判断が何よりも大切であると思っています。

    さて、この「万里の長城」ですが、お手元にお配りしました資料をご覧になってください。万里の長城は、紀元前に秦の始皇帝がそれまで春秋戦国の各国が北方騎馬民族や他国からの侵攻を防ぐ防御壁を繋ぎ合わせ長城としたことが始まりで、明王朝の最盛期には東の山海関から西域の嘉峪関までの全長が一万里余りあることから「万里の長城」と呼ばれています。日本の一里は4kmですが、中国の一里(華里)は僅か500mです。

    万里の長城は一本の長城ではなく、幾重にも重なっております。最近、中国政府は、再調査の結果、これまで公表していた総延長8,800kmをなんと2.4倍の2.1万キロと発表しました。繋げると地球の円周の半分というから驚きです。いずれにせよ人類が作った最大の構築物です。

    私は商社マン時代、北京には累計8年ほど滞在しましたが、北京近郊で有名な八達嶺「万里の長城」には、数えてはいませんが日本からのお客様を案内し、おそらく数十回は行ったと思います。しかし、その雄大さと歴史的魅力は何度行っても尽きませんでした。

     北京駐在時、1980年元旦のご来光を万里の長城で拝もうと、真夜中にタクシーを飛ばし八達嶺に行きました。長城の山頂にある烽火台(狼煙台)より、零下15度と縛れる寒さの中、楕円形に昇る太陽に向かい、入院中の家内の病気平癒を祈り、大きく柏手を打ちました。それから8年、ご利益あってか家内も健康を取り戻し、縁起のいい1988年8月8日、家内、子供達そして父母らを北京に呼び、思い出の長城に案内し、白日の太陽に向い感謝の柏手を打ちました。

     何れにしましても、万里の長城は私にとってパワースポットのひとつであり、また機会があれば訪れたいと思っております。

     少し長くなりましたが、これで会長の時間を終わらせて頂きます。有難うございました。

     

     

    【挨拶】 11月 6日 第2115例会

    皆さん、こんにちは!

    豊中ロータリークラブさんとの初の合同例会に当たりまして、一言ご挨拶申し上げます。

    去る6月16日、8RCの会長・幹事新旧交代懇親会で、クラブ間の親睦・交流にもつながるという意味から、クラブ同士が合同例会をしてみてはどうかと言うことが話題になりました。同席された第一組ご担当の豊島ガバナー補佐のご賛同も頂きました。

    合同例会は、8RCでは、池田RCと池田くれはRCが既に時々やっておられ、お話をお伺いしましたら、なかなかいいものだと言うことでした。

    そこで先ずは、同じ例会場を使用しているクラブ同士がしてはと言うことになり、千里阪急ホテルで、豊中千里RCと箕面千里中央RCが、そしてホテルアイボリーで、豊中RCと豊中南RCがともに組んでやろうとなった次第です。

    この合同例会は年に2回開催となり、最初は豊中RCさんの火曜日の例会に私共が合流する形をとり、次回は下半期に私共の木曜日の例会に豊中RCさんが合流いただくという形となりました。

    私もこれまで二度ばかりメーキャップに豊中RCさんの例会に出席させて頂きました。今回で3度目ですが、合同例会という新しい機会を与えて頂いたことに感謝申し上げる次第です。

    豊中RCさんは、永い歴史と伝統をお持ちのクラブです。今日の合同例会で我々は色々と学ばせて頂きたいと思っております。また、貴クラブは、われわれの親クラブであります。私は親の家に里帰りするような気持ちで今日を迎えたように感じております。

    どうぞ宜しくお願い申し上げ、私のご挨拶とさせて頂きます。有難うございました。

     

     

     

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